2004年9月23日の話
翌朝起き出して展望室で野菜ジュースと携帯食の朝食。昨晩はどうせ見ないから甲板には出なかったけど、眺めがいいので取り合えずで散策開始です。
外に出ると前方はずーっうっと海。まあ当然か。進行右側には遥かかたなに本州の岸壁が見えます。ああ、あっちのほうは雨なのねぇって感じです。ふと、頭上を見ると前線ぽい雲境目が天気図のようにビーって走ってて、以前カルフォルニア一号線を走ってるときに見たのに続いてまた見ちゃいました。
仙台についてからすぐに高速に乗ってひたすら南下、路面はぬれてるんですけど幸いなことに雨の直撃を受けることはありませんでした。
途中で眠くなりサービスエリアで横になって家の近くに来たのは暗くなってからでした。
ほんとにあと少しってところで急にガス欠現象。エンジンが止まっちゃいました。計算上はまだガソリンなくなるはず全然ないのにです。燃料スイッチをRESにして補助燃料を使って走り始めたらふつうなら帰れるぐらい走れるのに、一軒スタンドを見逃しちゃってしまったと思ってるうちにまたガス欠。こんなわけないと思いつつもとおりの反対側にスタンドがあるので信号まで押して渡っていきました。
照れくさく「ガス欠しちゃいました」っていって満タンにしてもらうと8リットルしか入らないんです。11リットル入るタンクなのにぃ~。なにやらやーなトラブルみたい。やーな感じのまますぐに走り出すのは控えて、ちょっと涼ませてくださいと、押してきて暑かったのでスタンドの端で気持ちを整えていました。同時にスタンドのレシートをチェック。この旅でも9リットル以上入れてるときあるし・・・。エンジンをかけてみるとちゃんとかかった。・・・これ高速で起きないでよかったよなぁ・・・て。ほどなく帰宅。
いろいろありました。よく、無事で帰ってきました。幸運に感謝。
翌日バイク屋さんに行こうと思ったんですけど、もう何もする気も無く、ホーントに何にもしないで残りの週末をしました。
なんだか出だしから最初に思ってたこのページの書き方とだいぶ違った風になってますが、また明日から何を書きはじめるんでしょうか・・・。
あと数時間後からまた現実に帰ります。
木曜日, 9月 23, 2004
水曜日, 9月 22, 2004
もう帰る!
2004年9月21日~22日の話
もうこれはいかんと思い帰ることにしました。
一番走らないで変える方法、それは苫小牧から大洗まで船で帰る方法です。
とは言っても、ここまで来たら北海道に渡るしかないってことで、フェリー乗り場まで行くと、苫小牧から大洗は予約いっぱいで月曜日まで無理ですって。そんな何日も先までいっぱいだとは思っていなくて無計画さを悔いました。しかたなく苫小牧から八戸までのフェリーを予約しつつとりあえず函館までフェリーに乗りましたが、これは翌日苫小牧から仙台まで別のフェリー会社で予約しなおしました。
青函を行き来するフェリーは一日に何本も出ているんですが片道4時間近くかかるのは以外でした。
船内の食堂でカツカレーを食べ、ほかの人も寝てましたし僕も疲れたので寝ちゃいました。
食堂には作業服のおじさんばかりでした。船内のほう案内放送では、お車、バイク、徒歩、労働者のお客様って言っていて、労働者って何で分けないといけないんだろって思いましたが、船の中って結構ランク付けがはっきりしているんですよね。部屋の等級でずいぶんと扱いが違うでしょ。一般の2等のほかに現地の企業向けの部屋って言うのがあるんですかねぇ。そこまで見なかったけど・・・なぞ。
函館のホテルについて天気予報をチェックすると、秋雨前線で今週は晴れの見込みはなさそう。しかも強い雨でドライブには注意ですと。北海道の放浪なんて一切せずに速攻で帰ろうと思い一路苫小牧まで目指すことにしました。
翌日は予報通りの強い雨とその上強い風。バイクには最悪のコンディションです。
函館から長万部の一般道も、長万部から苫小牧までの高速道路も、横風がつよくて本当に怖かったです。
とくに海沿いの道では走れないほど横にすべるんです。道路工事をあちらこちらでやっていてまるで走れない僕を見て工事のおじさんたちがふしぎそうな顔をしていました。
ほんと怖かったんですよ。北海道の道ってあんなに横風が強いんでしょうか。それだと再チャレンジしたくないなぁ。
もうこれはいかんと思い帰ることにしました。
一番走らないで変える方法、それは苫小牧から大洗まで船で帰る方法です。
とは言っても、ここまで来たら北海道に渡るしかないってことで、フェリー乗り場まで行くと、苫小牧から大洗は予約いっぱいで月曜日まで無理ですって。そんな何日も先までいっぱいだとは思っていなくて無計画さを悔いました。しかたなく苫小牧から八戸までのフェリーを予約しつつとりあえず函館までフェリーに乗りましたが、これは翌日苫小牧から仙台まで別のフェリー会社で予約しなおしました。
青函を行き来するフェリーは一日に何本も出ているんですが片道4時間近くかかるのは以外でした。
船内の食堂でカツカレーを食べ、ほかの人も寝てましたし僕も疲れたので寝ちゃいました。
食堂には作業服のおじさんばかりでした。船内のほう案内放送では、お車、バイク、徒歩、労働者のお客様って言っていて、労働者って何で分けないといけないんだろって思いましたが、船の中って結構ランク付けがはっきりしているんですよね。部屋の等級でずいぶんと扱いが違うでしょ。一般の2等のほかに現地の企業向けの部屋って言うのがあるんですかねぇ。そこまで見なかったけど・・・なぞ。
函館のホテルについて天気予報をチェックすると、秋雨前線で今週は晴れの見込みはなさそう。しかも強い雨でドライブには注意ですと。北海道の放浪なんて一切せずに速攻で帰ろうと思い一路苫小牧まで目指すことにしました。
翌日は予報通りの強い雨とその上強い風。バイクには最悪のコンディションです。
函館から長万部の一般道も、長万部から苫小牧までの高速道路も、横風がつよくて本当に怖かったです。
とくに海沿いの道では走れないほど横にすべるんです。道路工事をあちらこちらでやっていてまるで走れない僕を見て工事のおじさんたちがふしぎそうな顔をしていました。
ほんと怖かったんですよ。北海道の道ってあんなに横風が強いんでしょうか。それだと再チャレンジしたくないなぁ。
乗務員さんお疲れ様
2004年9月22日の話
苫小牧から仙台までのフェリーに乗りました。
��等の大部屋ざこ寝です。半分がバイクの人。若い人で孤独に自分の世界に入ってます。
船には飛行機のシートの差とは比べ物にならない差がある凄い部屋もあるわけで、
スイートルームってところまでは発見しました。
別にお金が無いわけではないので寝台でもよかったんですけど、別にねぇその必要ないし・・・。
夕食はバイキング。2等大部屋とはまるで不釣合いな立派な食事でした。カツカレーとかは無いんですよね。でもよく考えると、セルフサービスで持ってくるってこれ豪華なの?しかも角が斜めになってるお盆に乗せて持ってくるのってこの値段に見合ってるのかなぁって思ったりも・・・。そして、そんなに欲張りもせず、食べたいなというだけ取ってきて、食べ終わるとちょうど出港しました。
港から離れるとき、港側から見送りで飛び跳ねながら手を振っている人がいました。うらやましいなぁと。
街の明かりが遠のいていくのを見ると、優雅だなぁとか寂しいなぁとかやっと帰れるんだなぁとか複雑な気持ちになります。
食後にお風呂に入ったあと、何か無いかなと船内を散策しているとなんとコンサート中。そういえばさっき黒のドレスを着た人とすれ違ったけどこれだったのねと、ひとまずフルートとピアノのコンサートを聴くことにしました。うーん、さすがです。無料なので子供も入ってきてうるさい時もあるんだけど、そんな環境下でもがんばってます。途中からだけど、気づいて聞けてよかったなぁ。
コンサートが終わると、いかにも人前でしゃべるのが、もともと得意じゃありませんって言う、船長さん風の服装の乗務員が出てきて、コンサートを閉めのしゃべりをしていました。あれ船長さんじゃないですよね?
そっかぁ、大変ですよねぇ。船に乗るなってほんとに一部の人だけだものね。大部屋に入ってる人は定員の半分以下、B寝台もはガラガラ、家族ずれの一等客室は入っていそうだけど、満員ではないでしょうから、お客さん集めに苦労されてるんでしょう。コンサート用のホールなんて普通の感覚だったら2等室の人が見れるもんじゃないものね。いろいろ嗜好を凝らしてがんばっているんだってのがひしひしと伝わってきました。コンサートは9時に終わって10時からは映画を見れるところがあってハリーポッターやるって書いてありました。がんばってるなぁ。
って思ったんだけど寝ました。
苫小牧から仙台までのフェリーに乗りました。
��等の大部屋ざこ寝です。半分がバイクの人。若い人で孤独に自分の世界に入ってます。
船には飛行機のシートの差とは比べ物にならない差がある凄い部屋もあるわけで、
スイートルームってところまでは発見しました。
別にお金が無いわけではないので寝台でもよかったんですけど、別にねぇその必要ないし・・・。
夕食はバイキング。2等大部屋とはまるで不釣合いな立派な食事でした。カツカレーとかは無いんですよね。でもよく考えると、セルフサービスで持ってくるってこれ豪華なの?しかも角が斜めになってるお盆に乗せて持ってくるのってこの値段に見合ってるのかなぁって思ったりも・・・。そして、そんなに欲張りもせず、食べたいなというだけ取ってきて、食べ終わるとちょうど出港しました。
港から離れるとき、港側から見送りで飛び跳ねながら手を振っている人がいました。うらやましいなぁと。
街の明かりが遠のいていくのを見ると、優雅だなぁとか寂しいなぁとかやっと帰れるんだなぁとか複雑な気持ちになります。
食後にお風呂に入ったあと、何か無いかなと船内を散策しているとなんとコンサート中。そういえばさっき黒のドレスを着た人とすれ違ったけどこれだったのねと、ひとまずフルートとピアノのコンサートを聴くことにしました。うーん、さすがです。無料なので子供も入ってきてうるさい時もあるんだけど、そんな環境下でもがんばってます。途中からだけど、気づいて聞けてよかったなぁ。
コンサートが終わると、いかにも人前でしゃべるのが、もともと得意じゃありませんって言う、船長さん風の服装の乗務員が出てきて、コンサートを閉めのしゃべりをしていました。あれ船長さんじゃないですよね?
そっかぁ、大変ですよねぇ。船に乗るなってほんとに一部の人だけだものね。大部屋に入ってる人は定員の半分以下、B寝台もはガラガラ、家族ずれの一等客室は入っていそうだけど、満員ではないでしょうから、お客さん集めに苦労されてるんでしょう。コンサート用のホールなんて普通の感覚だったら2等室の人が見れるもんじゃないものね。いろいろ嗜好を凝らしてがんばっているんだってのがひしひしと伝わってきました。コンサートは9時に終わって10時からは映画を見れるところがあってハリーポッターやるって書いてありました。がんばってるなぁ。
って思ったんだけど寝ました。
火曜日, 9月 21, 2004
言葉じゃない
2004年9月21日の話
フェリーに乗ろうと青森市内に帰える途中、とうとう転びました。
道路が半分陥没した水溜りに突っ込みそうになり、スリップして転倒。親指を打って今でも痛いです。
あんなのがある事を前提にしていたら片道80キロ違い道のりをずっと徐行しないといけないです。
転倒した直後にたまたま郵便屋さんが通りかかってくれたので、いつもとは違ってすかさず助けを求めてバイクを起こすのを手伝ってもらいました。
農家のおばちゃんでもなく、こどもでもなく、スーパーカブに乗ったおじちゃんに出会えたのがよかったです。事態を瞬時に分かってくれて、バイクが泥の上じゃスタンドで立たないことまで理解してくれました。
なんとラッキー。おばちゃんだったら大変だったでしょうね。
なんとかバイクがちゃんと立って、僕がお礼を言うとおじさんは、両手をグーで上にかざしラジオ体操のような仕草をするんです。僕は一瞬で分かりました。体は大丈夫かっていうことです。僕は大丈夫ですと言葉は発しず深くお辞儀をし改めて御礼を言いました。
体のほうは大丈夫?って言葉で言われるより、なんともやさしさを感じました。
フェリーに乗ろうと青森市内に帰える途中、とうとう転びました。
道路が半分陥没した水溜りに突っ込みそうになり、スリップして転倒。親指を打って今でも痛いです。
あんなのがある事を前提にしていたら片道80キロ違い道のりをずっと徐行しないといけないです。
転倒した直後にたまたま郵便屋さんが通りかかってくれたので、いつもとは違ってすかさず助けを求めてバイクを起こすのを手伝ってもらいました。
農家のおばちゃんでもなく、こどもでもなく、スーパーカブに乗ったおじちゃんに出会えたのがよかったです。事態を瞬時に分かってくれて、バイクが泥の上じゃスタンドで立たないことまで理解してくれました。
なんとラッキー。おばちゃんだったら大変だったでしょうね。
なんとかバイクがちゃんと立って、僕がお礼を言うとおじさんは、両手をグーで上にかざしラジオ体操のような仕草をするんです。僕は一瞬で分かりました。体は大丈夫かっていうことです。僕は大丈夫ですと言葉は発しず深くお辞儀をし改めて御礼を言いました。
体のほうは大丈夫?って言葉で言われるより、なんともやさしさを感じました。
商売の難しさ
2004年9月21日の話
翌日、今日も一日雨だということを天気予報で確認しつつ、やっぱり青森は通過するだけじゃだめなんだ、何のために泊まったんだと思い、竜飛岬へ出発。そう、昨日頭の中を巡っていた歌の2番の歌詞な訳です。
岬まではダンプカーに前後から挟まれながら、雨で滑そうでこわごわの道のりでした。
途中の海沿いの道では津軽海峡の冬の厳しさを想像させる険しい波を目の当たりにしながらの走りで、晴れじゃなくて逆に本当の顔が見れたのかなと今なら思えます。走ってるときは寒いし怖いし疲労も進んでそんなどころじゃなかったんですけどね。
竜飛岬へ着く直前、道の駅を発見。岬やその灯台って言うのは大抵何も無く、一休みするには向いていないというのはこれまでの経験から分かっているので、ラッキーと思って道の駅なら一休みできると思ったんです。駐車場に着くとなんか変な感じ。そこにある建物に入っていくと期待が外れて愕然。
「ここは道の駅にはなってないんですか?」
「ここ、道の駅。ここね。」
ってその部屋全部道の駅って身振りをするんです。
おみやげ物の棚とレジ。そして青函トンネル坑道見学ケーブルカーのチケット売り場。だれも入るとは期待されているとは思えないレストラン。ふぅっと一息つく場所がまるでなしなんです。
この雨装備のかっこうで一息つくのに、いちいち全部脱いで、コーヒー頼む気にはならないわけです。
ほっとできない場所に長居する訳も無くこれでは物は売れないよって、ビジネス思考がちょっと頭をよぎってしまいました。早々に退散し岬の灯台の場所へ。なんと灯台は上れるようになっていませんでした。これまで見てきたところではちょっとした灯台でもお金を取って登れるようにしているのにしている所が結構あったのに、青函トンネル坑道は商売にするけど竜飛岬は商売にならないって言うのかなぁ?ちょっとずれれる感じがしました。どちらも民間の持ち物ではないから仕方ないけどね。
事実、竜飛崎灯台の前には雨で何も見えないにもかかわらず観光バスが絶えず出入りしているけど青函トンネル坑道記念館前は全然でした。やっぱし商売に慣れてないのかなぁ。
その帰り、とうとう発見「津軽海峡冬景色歌謡碑」!石碑から歌が流れてくるんです。
たまたまテレビで見たことあるけど、これなんだぁと。結構大音量で流れるんですね。
石碑なので当然無償。これも人気ありそうでした。青森の人は見るからにいい人ばかりで悪賢さが無いんですかねぇ。
北のはずれで商売の難しさを知りました。
翌日、今日も一日雨だということを天気予報で確認しつつ、やっぱり青森は通過するだけじゃだめなんだ、何のために泊まったんだと思い、竜飛岬へ出発。そう、昨日頭の中を巡っていた歌の2番の歌詞な訳です。
岬まではダンプカーに前後から挟まれながら、雨で滑そうでこわごわの道のりでした。
途中の海沿いの道では津軽海峡の冬の厳しさを想像させる険しい波を目の当たりにしながらの走りで、晴れじゃなくて逆に本当の顔が見れたのかなと今なら思えます。走ってるときは寒いし怖いし疲労も進んでそんなどころじゃなかったんですけどね。
竜飛岬へ着く直前、道の駅を発見。岬やその灯台って言うのは大抵何も無く、一休みするには向いていないというのはこれまでの経験から分かっているので、ラッキーと思って道の駅なら一休みできると思ったんです。駐車場に着くとなんか変な感じ。そこにある建物に入っていくと期待が外れて愕然。
「ここは道の駅にはなってないんですか?」
「ここ、道の駅。ここね。」
ってその部屋全部道の駅って身振りをするんです。
おみやげ物の棚とレジ。そして青函トンネル坑道見学ケーブルカーのチケット売り場。だれも入るとは期待されているとは思えないレストラン。ふぅっと一息つく場所がまるでなしなんです。
この雨装備のかっこうで一息つくのに、いちいち全部脱いで、コーヒー頼む気にはならないわけです。
ほっとできない場所に長居する訳も無くこれでは物は売れないよって、ビジネス思考がちょっと頭をよぎってしまいました。早々に退散し岬の灯台の場所へ。なんと灯台は上れるようになっていませんでした。これまで見てきたところではちょっとした灯台でもお金を取って登れるようにしているのにしている所が結構あったのに、青函トンネル坑道は商売にするけど竜飛岬は商売にならないって言うのかなぁ?ちょっとずれれる感じがしました。どちらも民間の持ち物ではないから仕方ないけどね。
事実、竜飛崎灯台の前には雨で何も見えないにもかかわらず観光バスが絶えず出入りしているけど青函トンネル坑道記念館前は全然でした。やっぱし商売に慣れてないのかなぁ。
その帰り、とうとう発見「津軽海峡冬景色歌謡碑」!石碑から歌が流れてくるんです。
たまたまテレビで見たことあるけど、これなんだぁと。結構大音量で流れるんですね。
石碑なので当然無償。これも人気ありそうでした。青森の人は見るからにいい人ばかりで悪賢さが無いんですかねぇ。
北のはずれで商売の難しさを知りました。
月曜日, 9月 20, 2004
青森の人
2004年9月20日の話
その日の夕方からも結局雨でしたけど、今度は雨の地域に入る前にレインコートを着ておいたので、前日よりは全然ましでした。
青森に到着してホテルに荷物を置いてから、夜の街をちょっとだけ散歩。やっと放浪の旅っぽくなってきました。
終着駅のあおもり駅をしかとこの目で見てきました。ってきっと青森の人は怒るでしょうね。青函トンネルで北海道までつながってるんだから終着駅じゃないんですよね。でも僕の中では石川さゆりの歌が流れてるわけで、そうじゃないにしても、昔に街ウォッチングしていた僕としては、昔は北のはずれの都市という位置づけだったとみると、感慨深いわけです。
本当に北海道に地続きになって青森にとってよかったのか?わるかったのか?
青森駅周辺は大抵のほかの都市と変わらず、栄えています。東京、名古屋、大阪を始めとする大都市との差はその面積だけでしょう。写真で切り取ってしまえば何も変わりません。
ライトアップされてとてもきれいで大きな橋もかかっています。港沿いの町を線路や水路が東西に分断してしまっているのをつなぐ橋です。
そしてあおもり駅周辺は、まだ8時ぐらいだったからかそんな物騒な町ではありませんでした。
そして明日以降に起こる事を無意識に感じていたのかいないのか、お土産などここで買ってしまいました。北海道のお土産はよく見るけど青森ってないんですよね。だからあえてここは青森のお土産だろうって思っちゃったんですよ。
「りんごねぶたまんじゅう」!!
��つもキーワードが入ってなんだかお得な感じ。
なんとこんなところでファミレス発見。2時までやってるなんて便利便利。っで、夕食は野菜たっぷりの付け合せのハンバーグ。ちゃんとりんごも入ってるってかいてあるんです。満足満足。
ドリンクバーでラベンダーティーを飲みながらくつろいでいたのですが、なんと両脇のテーブルとも女性一人で食事中。女一人でなぜにファミレスで食事?と思いつつも、見ると結構かわいいんです。前に座っていたおばさん達も、ひどくおばさんではなく、やっぱり北の人は美人なのかなぁと思ったしだいです。
ホテルに帰って北海道に渡るフェリーの時間を調べていなかった僕はフロントに聞きました。
「あのぉ。青函連絡船の時刻表ってありますか?」
「青函連絡船は廃止になりましたけど!」
「え!?」
「フェリーならありますけど!」
「あ、すみません・・・・。」
やっちゃいました。青森の人は青函連絡船といわれるのをひどく嫌っていると大昔に聞いたことがあります。部屋に帰ってからはなんて心の狭い人だと、すこし腹立たしかったんですけど,今から思えば言われて嫌な事って、他人から見れば何でも無い事がほとんどなんですよね。なかなか気を付けて防げることじゃないけど悪い事したなって思います。
その日の夕方からも結局雨でしたけど、今度は雨の地域に入る前にレインコートを着ておいたので、前日よりは全然ましでした。
青森に到着してホテルに荷物を置いてから、夜の街をちょっとだけ散歩。やっと放浪の旅っぽくなってきました。
終着駅のあおもり駅をしかとこの目で見てきました。ってきっと青森の人は怒るでしょうね。青函トンネルで北海道までつながってるんだから終着駅じゃないんですよね。でも僕の中では石川さゆりの歌が流れてるわけで、そうじゃないにしても、昔に街ウォッチングしていた僕としては、昔は北のはずれの都市という位置づけだったとみると、感慨深いわけです。
本当に北海道に地続きになって青森にとってよかったのか?わるかったのか?
青森駅周辺は大抵のほかの都市と変わらず、栄えています。東京、名古屋、大阪を始めとする大都市との差はその面積だけでしょう。写真で切り取ってしまえば何も変わりません。
ライトアップされてとてもきれいで大きな橋もかかっています。港沿いの町を線路や水路が東西に分断してしまっているのをつなぐ橋です。
そしてあおもり駅周辺は、まだ8時ぐらいだったからかそんな物騒な町ではありませんでした。
そして明日以降に起こる事を無意識に感じていたのかいないのか、お土産などここで買ってしまいました。北海道のお土産はよく見るけど青森ってないんですよね。だからあえてここは青森のお土産だろうって思っちゃったんですよ。
「りんごねぶたまんじゅう」!!
��つもキーワードが入ってなんだかお得な感じ。
なんとこんなところでファミレス発見。2時までやってるなんて便利便利。っで、夕食は野菜たっぷりの付け合せのハンバーグ。ちゃんとりんごも入ってるってかいてあるんです。満足満足。
ドリンクバーでラベンダーティーを飲みながらくつろいでいたのですが、なんと両脇のテーブルとも女性一人で食事中。女一人でなぜにファミレスで食事?と思いつつも、見ると結構かわいいんです。前に座っていたおばさん達も、ひどくおばさんではなく、やっぱり北の人は美人なのかなぁと思ったしだいです。
ホテルに帰って北海道に渡るフェリーの時間を調べていなかった僕はフロントに聞きました。
「あのぉ。青函連絡船の時刻表ってありますか?」
「青函連絡船は廃止になりましたけど!」
「え!?」
「フェリーならありますけど!」
「あ、すみません・・・・。」
やっちゃいました。青森の人は青函連絡船といわれるのをひどく嫌っていると大昔に聞いたことがあります。部屋に帰ってからはなんて心の狭い人だと、すこし腹立たしかったんですけど,今から思えば言われて嫌な事って、他人から見れば何でも無い事がほとんどなんですよね。なかなか気を付けて防げることじゃないけど悪い事したなって思います。
おやすみ(のはず?)の年代
2004年9月20日の話
無事に鍵を手に入れて、もう今回は帰ろうかなぁと思っていたのですが、晴れてたんですよねぇー、しかも暑いぐらい・・・その時は。高速に乗って入った方向は、北への道。懲りずに、また放浪を始めちゃいました。
時間はもうお昼。そこからいける距離ってたいしたことはありません。昨日の反省からサービスエリアで早々と携帯電話でホテル探し。その日の宿泊は青森に決めました。
トイレに行って帰ってくると、大きなアメリカンバイクが2台、そしてグレーのひげを生やしたおじさんがいました。
「こんにちはぁ、あついですねぇ」
「どこまでいくの?」
「青森まで」
「珍しいねぇ普通は、北海道まで入っちゃうのに。」
「青森も初めてなので、見て行きたいなぁって」
「そっかぁ、でも青森は何にも無いよぉ」
・・・・
と、なんとなくおしゃべり。
おじさん曰く、
「50代になるとバイクまた始める人が多いよねぇ。20代に乗っていて、30~40代は乗らなくなるんだけどねぇ。わたしも、お休みしていて、最近また乗るようになったんだよ」
って。どうやらぼくの事を20代に思ってるらしい。そっかぁ30~40代は仕事で忙しいじきだもんねぇ、怪我にも気をつけないといけないからバイクとか乗ってる場合じゃないよなぁ。
僕がバイクの免許を取ったのは30過ぎてから・・・。20代にこそそんな余裕は無かったよなぁ。
そもそも、ちゃんと周りを見る気になっていろいろな事を始めたのは、4半世紀生きた後からだもんね。
良識ある人々は自分も相手も実年齢にふさわしい社会の枠に収めないとならないけど、中身が追いついていない・・・枠にふさわしいだけ成長する時間も機会も無かった人だっているのになぁ。30代ならもうある程度の生活の基盤ができて仕事に専念して光ってる世代って事なんですね。まあこれは悔いてももう遅い。
おじさんは、大型免許をやっと取って買った大型バイクの千キロ点検が終わったばかりで、まだまだ慣らし運転をしている最中なんだそうです。それなりに成功して、仕事にも余裕が出てきて、超高級アメリカンバイクでまた楽しめるようになったのかなぁ。
気さくでやさしそうなおじさんでした。
無事に鍵を手に入れて、もう今回は帰ろうかなぁと思っていたのですが、晴れてたんですよねぇー、しかも暑いぐらい・・・その時は。高速に乗って入った方向は、北への道。懲りずに、また放浪を始めちゃいました。
時間はもうお昼。そこからいける距離ってたいしたことはありません。昨日の反省からサービスエリアで早々と携帯電話でホテル探し。その日の宿泊は青森に決めました。
トイレに行って帰ってくると、大きなアメリカンバイクが2台、そしてグレーのひげを生やしたおじさんがいました。
「こんにちはぁ、あついですねぇ」
「どこまでいくの?」
「青森まで」
「珍しいねぇ普通は、北海道まで入っちゃうのに。」
「青森も初めてなので、見て行きたいなぁって」
「そっかぁ、でも青森は何にも無いよぉ」
・・・・
と、なんとなくおしゃべり。
おじさん曰く、
「50代になるとバイクまた始める人が多いよねぇ。20代に乗っていて、30~40代は乗らなくなるんだけどねぇ。わたしも、お休みしていて、最近また乗るようになったんだよ」
って。どうやらぼくの事を20代に思ってるらしい。そっかぁ30~40代は仕事で忙しいじきだもんねぇ、怪我にも気をつけないといけないからバイクとか乗ってる場合じゃないよなぁ。
僕がバイクの免許を取ったのは30過ぎてから・・・。20代にこそそんな余裕は無かったよなぁ。
そもそも、ちゃんと周りを見る気になっていろいろな事を始めたのは、4半世紀生きた後からだもんね。
良識ある人々は自分も相手も実年齢にふさわしい社会の枠に収めないとならないけど、中身が追いついていない・・・枠にふさわしいだけ成長する時間も機会も無かった人だっているのになぁ。30代ならもうある程度の生活の基盤ができて仕事に専念して光ってる世代って事なんですね。まあこれは悔いてももう遅い。
おじさんは、大型免許をやっと取って買った大型バイクの千キロ点検が終わったばかりで、まだまだ慣らし運転をしている最中なんだそうです。それなりに成功して、仕事にも余裕が出てきて、超高級アメリカンバイクでまた楽しめるようになったのかなぁ。
気さくでやさしそうなおじさんでした。
鍵なくしちゃった
2004年9月19日~20日の話
高速降りて、電話でもう一度場所を確認し、ホテルに入ろうと道路を曲がったら一通出口。ホテルの人は歩きだと思ってたんですよね。あわてて降りようとしたら、ゆらゆらってバイク倒しちゃいました。起こすのに荷物降ろしてごちゃごちゃやっていたら、こわい若者たちが大勢で夜の商店街をカッポ。やーな感じがしたまま、曲がったギアペダルを直したり荷物を積みなおしたりしているうちに、若者たちは通り過ぎていきました。そしてエンジンかけようとするとキーがない!
鍵をなくしていたんです。
たしかに、道具を出すのにシートの鍵を開けたけど、シートの鍵穴にも刺さっていないし、もちろんメインの鍵穴にも刺さってない。ポケットもかばんも全部探して結局出てきませんでした。
幸いな事に泊まるホテルはもう目の前。ハンドルロックをしていなかったので押して行って、その夜はそのまま寝ました。
翌日、これは閉めてしまったシートの中にあるしか考えられないと思って、鍵屋さんを呼んであけてもらったのですが、昼間でちゃんと見えるにもかかわらず鍵はありませんでした。どうにもならない状態になってしまったんですが、この鍵屋さんがとてもいい人で、スペアキーを取りに行っても新幹線なら余裕で今日中にもどれるよとか、宅配あるから送っちゃえばとか、鍵作ろうかとか、無くした交差点に探しに言ってくれたり、いろいろアドバイスくれたんです。それにしても、鍵って元の鍵がないのに作れるんですね。全然知りませんでした。でも始めから鍵を作ってもらうように頼んで来てもらったわけではないので材料が無いんです。僕のバイクの鍵は比較的新しくてバイク専門にやっていない人は持ち歩いている在庫が無いって。しかもその日は祭日でお店の鍵屋さんは全部お休み。鍵屋さんは手当たりしだい連絡を取ってくれて、バイクの得意な仕事仲間をとうとう見つけてくれました。
結局、その鍵屋さんは次の仕事をリスケして、終始、鍵屋が鍵を作れないなんて本当に申し訳ないと恐縮していて、朝ごはん食べてないでしょと一緒に朝ごはんを食べて一緒に仲間の鍵屋さんを待っていてくれました。
前の仕事を終え駆けつけてくれた少し若目の仲間の鍵屋さんも凄く誠実そうな人で、あっという間に鍵穴を覗いただけで鍵を作ってくれました。しかもスペアキーまで。
別れる時も若目の方は「お気をつけてお帰りください」と声をかけてくれ、この人たちに当たってよかったなぁと、本当に思いました。
高速降りて、電話でもう一度場所を確認し、ホテルに入ろうと道路を曲がったら一通出口。ホテルの人は歩きだと思ってたんですよね。あわてて降りようとしたら、ゆらゆらってバイク倒しちゃいました。起こすのに荷物降ろしてごちゃごちゃやっていたら、こわい若者たちが大勢で夜の商店街をカッポ。やーな感じがしたまま、曲がったギアペダルを直したり荷物を積みなおしたりしているうちに、若者たちは通り過ぎていきました。そしてエンジンかけようとするとキーがない!
鍵をなくしていたんです。
たしかに、道具を出すのにシートの鍵を開けたけど、シートの鍵穴にも刺さっていないし、もちろんメインの鍵穴にも刺さってない。ポケットもかばんも全部探して結局出てきませんでした。
幸いな事に泊まるホテルはもう目の前。ハンドルロックをしていなかったので押して行って、その夜はそのまま寝ました。
翌日、これは閉めてしまったシートの中にあるしか考えられないと思って、鍵屋さんを呼んであけてもらったのですが、昼間でちゃんと見えるにもかかわらず鍵はありませんでした。どうにもならない状態になってしまったんですが、この鍵屋さんがとてもいい人で、スペアキーを取りに行っても新幹線なら余裕で今日中にもどれるよとか、宅配あるから送っちゃえばとか、鍵作ろうかとか、無くした交差点に探しに言ってくれたり、いろいろアドバイスくれたんです。それにしても、鍵って元の鍵がないのに作れるんですね。全然知りませんでした。でも始めから鍵を作ってもらうように頼んで来てもらったわけではないので材料が無いんです。僕のバイクの鍵は比較的新しくてバイク専門にやっていない人は持ち歩いている在庫が無いって。しかもその日は祭日でお店の鍵屋さんは全部お休み。鍵屋さんは手当たりしだい連絡を取ってくれて、バイクの得意な仕事仲間をとうとう見つけてくれました。
結局、その鍵屋さんは次の仕事をリスケして、終始、鍵屋が鍵を作れないなんて本当に申し訳ないと恐縮していて、朝ごはん食べてないでしょと一緒に朝ごはんを食べて一緒に仲間の鍵屋さんを待っていてくれました。
前の仕事を終え駆けつけてくれた少し若目の仲間の鍵屋さんも凄く誠実そうな人で、あっという間に鍵穴を覗いただけで鍵を作ってくれました。しかもスペアキーまで。
別れる時も若目の方は「お気をつけてお帰りください」と声をかけてくれ、この人たちに当たってよかったなぁと、本当に思いました。
日曜日, 9月 19, 2004
現場は気持ちがよくわかる
2004年9月19日の話
家を出て目標も決めずに「とりあえず北だ!」と思い、高速道路まで行こうと思ったのですが、変にケチってしまったのがこの旅の数ある中の最初のミス。
北へ行く幹線の高速道路に乗るまで下の道でいいやと思っていったら迷いまくりで、仕方なく支線の有料道路に乗ったのですがこれも間違い、再度乗りなおして、やっと一路北へ行く高速道路に乗れました。そう、北に行くのは初めてなのにろくに調べもせずに出かけてるので入り口が思ったよりずっと北にあったんですね。その動揺のためハイウェイカードを取りやすい位置においておくのを忘れて、乗り換えの時は現金で払いました。
ずいぶん時間がかかって、一路北へ。すぐに夕方になり、それとともに天気が怪しくなってきました。そして豪雨。まあ夕立だろうと思ってたら、一度晴れ地域に抜けた後また雨。今度は止みません。
もう暗くなってきてコリャだめだと思いずぶ濡れで高速出口へ。さくっと降りてとまるところを探したかったんですが、料金所で雨の中足止めを食らうことになりました。
なんと、ハイウェイカード古くてそのままじゃ使えないって言うんです。そっかぁ、遠出してないから最近全然使ってないものね。
まだ5千円も残ってるのにぃと思った次の瞬間、新しいのに変える必要があるからバックしてってちょっと待っててねって。バイクはバックできないの!っとちょっと思いつつ、降りて、屋根なくなってるところまで、ずずいと下がって待ちました。雨の中ってぬれながら待つって結構長く感じるんですよね。何分ぐらい待ったか、別のおじさんが新しいハイウェイカードに変えてきてくれて、無事支払い。
そのとき料金所のおじさんは高速の券は返さず持っていてくれてもう一人のおじさんとのやり取りもしてくれたので、僕はもともとずぶ濡れの状態から雨ざらしになって待ってただけですみました。あれであっち行けとかこっち行けとか、これ返すとかあれ出せとか言われ、券をぬらしたら文句言われるってな流れだったらたまりませんでしたが、「いやぁ、勝手にカード変えちゃうほうが悪いんだよね、ごめんねぇ」と言って最後に処理してくれたので、救われました。公団といえばイメージ悪いけど現場の人はまともなんですよね。
雨の中降りたところでホテルを探し始めたのですが、空いている所がまるで無し。2時間ぐらいがんばったけどだめで結局、携帯電話のインターネットアクセスで探しました。確かに今いる場所にはまるで空き無し。ずいぶん先に行くとあるのが分かったので電話で予約して再び高速でそちらに移動しました。携帯電話って凄いですね。こんな無計画な人間にも活路を与えてしまうんです。文明に感謝です。携帯電話が古く無くてよかったぁ。
家を出て目標も決めずに「とりあえず北だ!」と思い、高速道路まで行こうと思ったのですが、変にケチってしまったのがこの旅の数ある中の最初のミス。
北へ行く幹線の高速道路に乗るまで下の道でいいやと思っていったら迷いまくりで、仕方なく支線の有料道路に乗ったのですがこれも間違い、再度乗りなおして、やっと一路北へ行く高速道路に乗れました。そう、北に行くのは初めてなのにろくに調べもせずに出かけてるので入り口が思ったよりずっと北にあったんですね。その動揺のためハイウェイカードを取りやすい位置においておくのを忘れて、乗り換えの時は現金で払いました。
ずいぶん時間がかかって、一路北へ。すぐに夕方になり、それとともに天気が怪しくなってきました。そして豪雨。まあ夕立だろうと思ってたら、一度晴れ地域に抜けた後また雨。今度は止みません。
もう暗くなってきてコリャだめだと思いずぶ濡れで高速出口へ。さくっと降りてとまるところを探したかったんですが、料金所で雨の中足止めを食らうことになりました。
なんと、ハイウェイカード古くてそのままじゃ使えないって言うんです。そっかぁ、遠出してないから最近全然使ってないものね。
まだ5千円も残ってるのにぃと思った次の瞬間、新しいのに変える必要があるからバックしてってちょっと待っててねって。バイクはバックできないの!っとちょっと思いつつ、降りて、屋根なくなってるところまで、ずずいと下がって待ちました。雨の中ってぬれながら待つって結構長く感じるんですよね。何分ぐらい待ったか、別のおじさんが新しいハイウェイカードに変えてきてくれて、無事支払い。
そのとき料金所のおじさんは高速の券は返さず持っていてくれてもう一人のおじさんとのやり取りもしてくれたので、僕はもともとずぶ濡れの状態から雨ざらしになって待ってただけですみました。あれであっち行けとかこっち行けとか、これ返すとかあれ出せとか言われ、券をぬらしたら文句言われるってな流れだったらたまりませんでしたが、「いやぁ、勝手にカード変えちゃうほうが悪いんだよね、ごめんねぇ」と言って最後に処理してくれたので、救われました。公団といえばイメージ悪いけど現場の人はまともなんですよね。
雨の中降りたところでホテルを探し始めたのですが、空いている所がまるで無し。2時間ぐらいがんばったけどだめで結局、携帯電話のインターネットアクセスで探しました。確かに今いる場所にはまるで空き無し。ずいぶん先に行くとあるのが分かったので電話で予約して再び高速でそちらに移動しました。携帯電話って凄いですね。こんな無計画な人間にも活路を与えてしまうんです。文明に感謝です。携帯電話が古く無くてよかったぁ。
放浪の旅
2004年9月27日
旅から帰ってきました。帰ってきたばかりではなくて、木曜の夜に帰ってきたんですけどね。
僕のバイクの旅は基本的に一人。しかもまったくの無計画。旅先で出会ういろんな人に助けられながら放浪を続けることで、普段は感じる余裕の無い「人の思いやり」を感じる旅と結果的になっています。
土日にぐうたらしたあと、先週休みを取って、日曜午後から木曜の夜までバイクで旅をしていたのですけど、連日の雨もあって、さんざんな旅でした。なんの準備もなく出かけているので自業自得です。
僕のバイクの技量では、ただ移動するだけで精一杯で観光なんて余裕ありませんでした。秋雨前線の真っ只中を横風に滑り続けながら何百キロも走るのは、生き続けるだけで精一杯で何もできない姿をそのまま映し出してると、走りながら思いました。
今回の走行距離はだいたい1700キロぐらい。
トラブルもたくさん起きました。格好の悪い事もたくさんありました。
旅の途中では文章を書くような余裕は無かったので、ここでまとめて書いておきたいと思います。
旅から帰ってきました。帰ってきたばかりではなくて、木曜の夜に帰ってきたんですけどね。
僕のバイクの旅は基本的に一人。しかもまったくの無計画。旅先で出会ういろんな人に助けられながら放浪を続けることで、普段は感じる余裕の無い「人の思いやり」を感じる旅と結果的になっています。
土日にぐうたらしたあと、先週休みを取って、日曜午後から木曜の夜までバイクで旅をしていたのですけど、連日の雨もあって、さんざんな旅でした。なんの準備もなく出かけているので自業自得です。
僕のバイクの技量では、ただ移動するだけで精一杯で観光なんて余裕ありませんでした。秋雨前線の真っ只中を横風に滑り続けながら何百キロも走るのは、生き続けるだけで精一杯で何もできない姿をそのまま映し出してると、走りながら思いました。
今回の走行距離はだいたい1700キロぐらい。
トラブルもたくさん起きました。格好の悪い事もたくさんありました。
旅の途中では文章を書くような余裕は無かったので、ここでまとめて書いておきたいと思います。
土曜日, 9月 18, 2004
真ん中席って忘れてた
2004年9月18日
今日は新幹線で長距離のおでかけでした。のりかえ、のりかえ片道4時間かかりました。
そっか往復8時間かぁ。仕事したのはたったの2時間半。
う~ん。どうなんでしょう、それって。
でも、まあ金曜の夕方にしては帰りの新幹線がすぐに取れたのでラッキー。
いつも通路側を取るんだけど今日は熟睡するつもりで窓際を選択したら、窓側は満席。
そこで通路側を指定して再トライすればよかったんだけど、ついどちらでもよいってしてしまったら、
��席の真ん中になってしまいました。そっかぁ最近真ん中席なんて当たったことがなかったので
その存在すら意識の中にありませんでした。今度は窓側、通路側どちらかなくてもその逆を指定しよっと。
学習、学習っと。
今日は新幹線で長距離のおでかけでした。のりかえ、のりかえ片道4時間かかりました。
そっか往復8時間かぁ。仕事したのはたったの2時間半。
う~ん。どうなんでしょう、それって。
でも、まあ金曜の夕方にしては帰りの新幹線がすぐに取れたのでラッキー。
いつも通路側を取るんだけど今日は熟睡するつもりで窓際を選択したら、窓側は満席。
そこで通路側を指定して再トライすればよかったんだけど、ついどちらでもよいってしてしまったら、
��席の真ん中になってしまいました。そっかぁ最近真ん中席なんて当たったことがなかったので
その存在すら意識の中にありませんでした。今度は窓側、通路側どちらかなくてもその逆を指定しよっと。
学習、学習っと。
金曜日, 9月 17, 2004
ぎゅ~ぅ
2004年9月17日
いま、帰宅途中に牛丼屋さんに入ったら豚焼肉定食がぬぁ~い!
ショック!と思ったら、なんと牛カルビ定食発見。高級品680円を食してしまいました。
そういえば、米BSE全頭検査要求見直しが今話題。日本からの輸出牛肉は未だに全頭検査してるって話だから輸出肉だけはやってほしいなぁ。いいじゃん昔は牛肉高かったんだから。
今日の牛カルビ定食もおいしく食べれたし、安全第一ね。
いま、帰宅途中に牛丼屋さんに入ったら豚焼肉定食がぬぁ~い!
ショック!と思ったら、なんと牛カルビ定食発見。高級品680円を食してしまいました。
そういえば、米BSE全頭検査要求見直しが今話題。日本からの輸出牛肉は未だに全頭検査してるって話だから輸出肉だけはやってほしいなぁ。いいじゃん昔は牛肉高かったんだから。
今日の牛カルビ定食もおいしく食べれたし、安全第一ね。
木曜日, 9月 16, 2004
はじまりのはじまり
2004年9月16日
今日から、外うぇぶで、だらだらするんです。とか書きつつあさってから電気の無い世界へ~。
おととい夕方の5分ぐらいの間に手を3箇所も蚊に刺されちゃったんですよ。指されやすい上に蚊に対してアレルギー体質なのか、めちゃくちゃかゆい。早く治らないかな。
蚊はホントは怖い虫らしいけど日本人はそういう感覚無いよね。「蚊に刺されたぐらいのもの」ってなことよくいってて、そういうのよく考えない人種だよね。
http://www.kincho.co.jp/gaichu/column/sasare.html
・・・じゃないにしても、ぼくにとっては、無視できないほどかゆいんだから、「蚊に刺されたぐらい・・・」って言わないで^^;
今日から、外うぇぶで、だらだらするんです。とか書きつつあさってから電気の無い世界へ~。
おととい夕方の5分ぐらいの間に手を3箇所も蚊に刺されちゃったんですよ。指されやすい上に蚊に対してアレルギー体質なのか、めちゃくちゃかゆい。早く治らないかな。
蚊はホントは怖い虫らしいけど日本人はそういう感覚無いよね。「蚊に刺されたぐらいのもの」ってなことよくいってて、そういうのよく考えない人種だよね。
http://www.kincho.co.jp/gaichu/column/sasare.html
・・・じゃないにしても、ぼくにとっては、無視できないほどかゆいんだから、「蚊に刺されたぐらい・・・」って言わないで^^;
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