半年以上待ちましたよ。やっと見れました。
13日の金曜日の不吉な出来事はすっかり吹き飛ばしてくれました。
Youtubeでは予告編だけでなく何度も何度も映像が流れてきて、もう気になって気になって仕方なかったんです。
Warner Bros.のYoutubeチャンネルでいったい何本出たんでしょう。
待った甲斐がありました。
最初、予告編の冒頭でジョージクルーニのにやけた顔が横切っていくのを見て安っぽいのかと思ってしまったのですが、その続きで段々とただ事ではないなという感じになってきます。
ただ事ではないというのは、この映画の中の設定がということではなく、宇宙感です(宇宙観ではありません)。
ありえない状況でありながら、とても未来ではなく現代の宇宙の現場の感覚があるんです。
こう感じるのって宇宙好きだけなんでしょうか?
あの滅茶苦茶な回転運動ですが、映画的に大げさに描いているというのではなく、雰囲気は本当にあんな感じなんです。
ちょうどいいタイミングでこんな動画が出ていました。
このペンチの回転の雰囲気そのままですよね。
もちろん風景もすごいです。宇宙というか宇宙船軌道上の風景が。宇宙好きでいつもNASAやJAXAの動画を見ているので、予告編で出てくるのがスペースシャトルや衛星なので本当にそれっぽく見えるんです。
そして次から次に出てくる予告編映像だけですごい事になっていました。
そして実際に今日映画館で見てきたのがIMAX3Dです。もうとんでもないです。
そこにあるシャトルやISSやコンソールやその他全ての物の存在感が半端じゃないです。
サンドラブロックのすぐ近くに自分が実際にいるような感じです。
いつの間にかスクリーンで見ていると言うことをすっかり忘れていました。
NASA映像では3Dじゃありませんから、その実物感にもう興奮がやみません。
ケネディ宇宙センターで実際に現物のISSやシャトルを目の前にした時の感覚がそのまま蘇ってきます。
あとは、やはり無重力の表現方法なんでしょうか?ほぼNASA映像と同じです。
だから数箇所重力を感じてしまうカットが途中で出てきてしまうのですが、その部分だけが浮き上がってしまっているのは、その他の場面が本当に良く出来ているからだと思います。
他にも最大の突っ込みどころがあるんですが・・・、まあそんなのどうでも良くなります。
そして宇宙空間の透明度の表現がとんでもないです。真空なので遥か彼方の物でも霞む事がなく見えるというNASA映像と同じ感覚で物凄く遠くの物凄く小さく見える物を映し出してくるんです。
その小さい物がそのまま近くまで来て大惨事ってわけです。
予告編では見えていなかった暗くて広い宇宙をIMAX3Dで存分に見せてくれます。
なにかもう映画っていう感じじゃありません。
映像の事ばかり書いてしまうと、ネイチャー系の映画みたいに退屈なのかと勘違いされてしまいそうですが、予告編を見て分かるとおり中身は退屈なんてとんでもなく、ずっと必死な時間が続きます。
ここでサンドラブロックの演技の話になりますが、そういえばこれって演技だったんだよねと、後から気づくぐらいもう、その非常事態と一体化していて、すばらしい演技でしたなんて客観的に評価できるほど冷静には見ていられません。
だって当人は怖くて必死なんですよ物語の中では。その感覚と何の違和感もなく一体化してしまいます。
ほぼサンドラブロックの一人芝居なんで余計に一体になってしまうんでしょうね。
僕はサンドラブロック大好きなのでうれしかったです。
そしてSFとはかけ離れた存在のおちゃめなジョージクルーでこの役は正解でした。そういう存在だからこそSFっぽさが無くなってよかったと思います。
この映画なんと、91分しかないそうです。それにしては大満足で短い感じはまったくしませんし、少しネタばれ気味ですが、長い旅をする事になるのです。それが本当に長い旅だったと感じます。
その旅も映画の中の時間でほんの数時間程度だったりするんですけど。それでも本当に長い旅をした気になり、最近の3時間近い映画ばかりを見ている人にとっては、同じぐらいの時間見ていた気分になってしまうほど中身が濃いんです。
何で邦題に「ゼロ」を付けちゃったかなぁ。残念に思うのは見れば分かります。
今回、IMAX3Dで見ましたが、もしこれを普通の2Dで見たらどうだったかというと、かなり怪しいです。
そもそもあの小さい物はIMAXじゃなきゃ見えないはずです。
また、あの物体の存在感も3Dだったからじゃないかと思うんです。
そう考えると、これをDVDやBlu-rayで見ても駄目なんじゃないかと思うんです。
IMAX3Dでやっているうちにまた見に行かないと、あの感覚は見れないのかと思うと、2回目行きたくなってしまいます。
見たい方は今のうちにぜひどうぞ。
金曜日, 12月 13, 2013
日曜日, 11月 03, 2013
マルコムX DVD見ました
一昨日「リンカーン」はDVDでちゃんと見直してからと書きましたがDVDはすでに出ているんですね。
でもその前に見たくなってしまったマルコムXです。
「42」の主人公と同じ年代にいて、まったく違う生き方をした人の話です。
思想的、宗教的に過激で濃い内容だと分かっていたので、どうしてもハードルが高くてずっと見ていませんでした。
「42」を見てどうしても、釈然としない気持ちで落ち着かなかったので、見るなら今しかないなと思ったんです。
この映画も実話ベースで実在の黒人活動家の生涯を描いたお話なのです。
本当に紆余曲折の人生なので、何をあらすじとしたらいいのか分からないのですが、「マルコムX」という人はすでに知っていてネタばれではないとすれば一言で言うなら、街のチンピラが有名な黒人解放運動の指導者になる話です。
この映画3時間以上あるんですが、まったく集中が切れることがありませんでした。古さもまったく感じません。
音楽やダンスや色使いなど冒頭からエンターテイメント性をちゃんと考えて作ってありますし、時代を前後取り混ぜてうまく作っているのもすごいですね。
もちろんデンゼル・ワシントンという俳優のすごさを見せ付けられたってところもあります。
しかしそんな事より、そもそもこの人の人生自体が普通じゃなく、映画の世界みたいなものなので、ハードボイルドからスリルとサスペンスにサクセスストーリー的なところまで、演出としては何でもできるめちゃくちゃな人生なんです。
まあ、ほんとうにものすごいものを見ました。
字幕と吹き替えで見たので6時間以上というかまる1日かかりました。もう1周英語で見る体力はありませんでした(笑)
で、感想はというと、これがまたコメントしにくいです。
結末は本当に無念で悔しくてしかたないのですが、一昨日の気持ちがすっきりして、釈然とすることができました。
この映画の中でもちゃんと「42」の主人公であるメジャーリーガーのジャッキー・ロビンソンが触れられています。そしてその存在に対して別の考え方をちゃんと示しています。そしてその別の考え自身が正しいのかどうかとう事すら最後に吹き飛ばしてしまっています。
それが僕にとって釈然といった理由の一つでもあります。
物事ってそんなに美しく解決できないんだと僕は思っています。
今の時代は偽善と欺瞞だらけです。でもそれは騙す方の問題というより、騙されると言うか流される大衆がいるから起きていると、自責しなければならない事を、改めて確認させられました。
このDVDを手に取るのは、なかなか難しいとは思いますが、何かのきっかけ・・・たとえば「42」を見てしっくりいかないとか、そういうことがあったら是非見てみてください。
何かの解決になるかもしれません。
でもその前に見たくなってしまったマルコムXです。
「42」の主人公と同じ年代にいて、まったく違う生き方をした人の話です。
思想的、宗教的に過激で濃い内容だと分かっていたので、どうしてもハードルが高くてずっと見ていませんでした。
「42」を見てどうしても、釈然としない気持ちで落ち着かなかったので、見るなら今しかないなと思ったんです。
この映画も実話ベースで実在の黒人活動家の生涯を描いたお話なのです。
本当に紆余曲折の人生なので、何をあらすじとしたらいいのか分からないのですが、「マルコムX」という人はすでに知っていてネタばれではないとすれば一言で言うなら、街のチンピラが有名な黒人解放運動の指導者になる話です。
この映画3時間以上あるんですが、まったく集中が切れることがありませんでした。古さもまったく感じません。
音楽やダンスや色使いなど冒頭からエンターテイメント性をちゃんと考えて作ってありますし、時代を前後取り混ぜてうまく作っているのもすごいですね。
もちろんデンゼル・ワシントンという俳優のすごさを見せ付けられたってところもあります。
しかしそんな事より、そもそもこの人の人生自体が普通じゃなく、映画の世界みたいなものなので、ハードボイルドからスリルとサスペンスにサクセスストーリー的なところまで、演出としては何でもできるめちゃくちゃな人生なんです。
まあ、ほんとうにものすごいものを見ました。
字幕と吹き替えで見たので6時間以上というかまる1日かかりました。もう1周英語で見る体力はありませんでした(笑)
で、感想はというと、これがまたコメントしにくいです。
結末は本当に無念で悔しくてしかたないのですが、一昨日の気持ちがすっきりして、釈然とすることができました。
この映画の中でもちゃんと「42」の主人公であるメジャーリーガーのジャッキー・ロビンソンが触れられています。そしてその存在に対して別の考え方をちゃんと示しています。そしてその別の考え自身が正しいのかどうかとう事すら最後に吹き飛ばしてしまっています。
それが僕にとって釈然といった理由の一つでもあります。
物事ってそんなに美しく解決できないんだと僕は思っています。
今の時代は偽善と欺瞞だらけです。でもそれは騙す方の問題というより、騙されると言うか流される大衆がいるから起きていると、自責しなければならない事を、改めて確認させられました。
このDVDを手に取るのは、なかなか難しいとは思いますが、何かのきっかけ・・・たとえば「42」を見てしっくりいかないとか、そういうことがあったら是非見てみてください。
何かの解決になるかもしれません。
金曜日, 11月 01, 2013
映画「42」見ました。地味にくる
題名を見て何かピンと来て、気になっていたので見てきました。
アメリカ公開が4月だったので11月でも年内って事でちゃんと記憶に残ってるものですね。
本日公開初日で見てきました。
4月といえば「リンカーン」を見ていたころです。あれは日本人が映画で一回見ただけで絶賛できるような内容ではなく、ちゃんと共感できるのは、相当英語が分かる人か歴史に非常に詳しい人だと思います。
だからあれの感想を言えるのはDVDが出てゆっくり見直してからだと思っています。
僕から見ればリンカーンを映画館で1回見たぐらいで感動したと言っている日本人はかなり怪しいと・・・。
脱線しましたが、今回見た映画「42」のほうも黒人差別問題の実話ベースの話です。
第二次大戦に勝利して、戦争から帰ってきた人たちで活気付いているなかで、マイナーおよびメジャーリーグの野球選手にはじめてのアフリカ系アメリカ人を起用して成功するまでのお話です。
主人公をはじめとして周りの人の葛藤や意識の変化によって乗り越えていくというとってもいい話です。
差別問題そのものについて書くと、いくらたくさん書いても言葉足らずになってしまうので、話をずらすのですが、この映画のキーワードである「やり返さない勇気」については僕なりの意見を持っています。
やり返さない事を貫き通して、最終的に成功に到達できる人というのは本当にごく一部のケースだけだという事です。
一般的には、やり返さない、または、やり返せないままでいるということは、本当に危険な状態に陥る場合がほとんどだと思うんです。
ただし、これが黒人差別問題についてであり、しかも強力なバックアップがあるという前提において「やり返さない勇気」が成立したのだと思います。
まさに選ばれたヒーローだけが成しえた事で、まねしちゃだめだというのが僕の持論です。
だからこそ痛快で映画になったわけですけどね。
でも映画としてみるとだいぶソフトに作ってありました。現実の心理状態はもっと壮絶だったろうと思うのです。
なんといっても老若男女、社会全体からの攻撃を受け止めるわけですから。でも、映画では見てるほうが耐えられなくなるでしょうから。
そして暴れたりできないわけで、どうしても地味にならざるをえないところを、うまく山場的なところを作ったりして、じわじわくるものになっていました。
説教くさくなくて、結構主人公や周りの人とかに感情移入できるんですよねぇ、これが。
一方で伝記ものってどうしても歴史を淡々と追いかけるだけで盛り上がりに欠けるところがありますから、この映画はよくできているんだと思います。
球団のオーナー(?)の役のハリソンフォードがなんだかいつもとだいぶ違う、すっかりお年寄りという役をやっていて、しかもそれが結構はまっていたのもよかったですね。
42番という番号の入ったシャツには、ちょっとした思いがあってタイトルに引っかかりを感じたのですが、やはりそれは書くのはやめておきましょう。もったいぶって(笑)
歴史や野球に詳しくなくてもちゃんと共感できる作品です。できれば映画館で、そうでなくてもDVDが出たらぜひ見る事をおすすめします。
アメリカ公開が4月だったので11月でも年内って事でちゃんと記憶に残ってるものですね。
本日公開初日で見てきました。
4月といえば「リンカーン」を見ていたころです。あれは日本人が映画で一回見ただけで絶賛できるような内容ではなく、ちゃんと共感できるのは、相当英語が分かる人か歴史に非常に詳しい人だと思います。
だからあれの感想を言えるのはDVDが出てゆっくり見直してからだと思っています。
僕から見ればリンカーンを映画館で1回見たぐらいで感動したと言っている日本人はかなり怪しいと・・・。
脱線しましたが、今回見た映画「42」のほうも黒人差別問題の実話ベースの話です。
第二次大戦に勝利して、戦争から帰ってきた人たちで活気付いているなかで、マイナーおよびメジャーリーグの野球選手にはじめてのアフリカ系アメリカ人を起用して成功するまでのお話です。
主人公をはじめとして周りの人の葛藤や意識の変化によって乗り越えていくというとってもいい話です。
差別問題そのものについて書くと、いくらたくさん書いても言葉足らずになってしまうので、話をずらすのですが、この映画のキーワードである「やり返さない勇気」については僕なりの意見を持っています。
やり返さない事を貫き通して、最終的に成功に到達できる人というのは本当にごく一部のケースだけだという事です。
一般的には、やり返さない、または、やり返せないままでいるということは、本当に危険な状態に陥る場合がほとんどだと思うんです。
ただし、これが黒人差別問題についてであり、しかも強力なバックアップがあるという前提において「やり返さない勇気」が成立したのだと思います。
まさに選ばれたヒーローだけが成しえた事で、まねしちゃだめだというのが僕の持論です。
だからこそ痛快で映画になったわけですけどね。
でも映画としてみるとだいぶソフトに作ってありました。現実の心理状態はもっと壮絶だったろうと思うのです。
なんといっても老若男女、社会全体からの攻撃を受け止めるわけですから。でも、映画では見てるほうが耐えられなくなるでしょうから。
そして暴れたりできないわけで、どうしても地味にならざるをえないところを、うまく山場的なところを作ったりして、じわじわくるものになっていました。
説教くさくなくて、結構主人公や周りの人とかに感情移入できるんですよねぇ、これが。
一方で伝記ものってどうしても歴史を淡々と追いかけるだけで盛り上がりに欠けるところがありますから、この映画はよくできているんだと思います。
球団のオーナー(?)の役のハリソンフォードがなんだかいつもとだいぶ違う、すっかりお年寄りという役をやっていて、しかもそれが結構はまっていたのもよかったですね。
42番という番号の入ったシャツには、ちょっとした思いがあってタイトルに引っかかりを感じたのですが、やはりそれは書くのはやめておきましょう。もったいぶって(笑)
歴史や野球に詳しくなくてもちゃんと共感できる作品です。できれば映画館で、そうでなくてもDVDが出たらぜひ見る事をおすすめします。
水曜日, 10月 02, 2013
クロニクル 苦しかった
話題の映画「クロニクル」見てきました。かなり面白かったですが苦しかったです。
首都圏限定、2週間限定の劇場公開なのでほとんどの人が見れないでしょうね。
ストーリーは偶然超能力を身に付けてしまった高校生3人のいたずらが徐々にエスカレートしていきその結果どうなったかというお話です。
よくある超能力で正義の味方みたいな部分は全くないので、かなり重たい内容です。
映画の中では正直カメラ関連の設定か鼻につくところはあるのですが、無名のキャストにスタッフでありながらかなりよく出来ています。
どんどんと狂っていく様子にとても感情移入できました。
僕なりの解釈では強者と弱者の均衡が破れたとき人は冷静でいられるのかという問いかけのように感じました。
結局、弱者は弱者のまま永遠に理不尽な暴力を受け続ける事で、世の中は均衡を保っているのだと。
人の痛みを知る人はやさしくなれないのだと。
アメリカやヨーロッパではヒットしたらしいのですが、日本では役者が知らない人ばかりでエンターテイメント性にも欠けるので当たらないだろうと判断したんでしょうね。
上映期間が2週間だけというのはもったいない気がします。
まだ間に合いますので、ぜひ映画館へ。おすすめです。
首都圏限定、2週間限定の劇場公開なのでほとんどの人が見れないでしょうね。
ストーリーは偶然超能力を身に付けてしまった高校生3人のいたずらが徐々にエスカレートしていきその結果どうなったかというお話です。
よくある超能力で正義の味方みたいな部分は全くないので、かなり重たい内容です。
映画の中では正直カメラ関連の設定か鼻につくところはあるのですが、無名のキャストにスタッフでありながらかなりよく出来ています。
どんどんと狂っていく様子にとても感情移入できました。
僕なりの解釈では強者と弱者の均衡が破れたとき人は冷静でいられるのかという問いかけのように感じました。
結局、弱者は弱者のまま永遠に理不尽な暴力を受け続ける事で、世の中は均衡を保っているのだと。
人の痛みを知る人はやさしくなれないのだと。
アメリカやヨーロッパではヒットしたらしいのですが、日本では役者が知らない人ばかりでエンターテイメント性にも欠けるので当たらないだろうと判断したんでしょうね。
上映期間が2週間だけというのはもったいない気がします。
まだ間に合いますので、ぜひ映画館へ。おすすめです。
月曜日, 9月 30, 2013
凶悪
ポスターがものすごく怖くて、映画「凶悪」を見てしまいました。
暴力描写が激しいので、見れない人は見ないほうがいいです。
僕も苦手なのですが。
ストーリーは、凶悪犯で死刑囚の告白を基に雑誌記者が共犯者を追い込むという話です。
ポスターと予告編だけで、そのほかの事前情報は全く無しで見ましたが、あとで調べると、原作の小説は実際にあった事件を基にしているんですね。
でもそういう事を知らないで見ても十分にリアルです。
何が怖いって、よくある暴力描写って狂気を伴なって表現されるじゃないですか。
でもそうじゃなくて、至極冷静なんです。目的がハッキリしていて手段として冷静に実行してしかも楽しんでいるんです。
その姿を見せられるとぞーっとしてきます。ああ、これが商売なんだって。
これが演技なんだから役者ってすごいです。
この映画を宣伝するならたぶん暴力描写をとりあげるのが正攻法で予告編もそうなっているのですが、映画を実際に見ると、もっと怖いです。
あぁ、そっちかぁ、と落ち込んできます。
一つは家庭の問題。もう一つは善悪の問題です。
どちらについても、いろんな方向に対して追求していて一つではありません。
その矛先はこの映画を作っていること自体をそもそも否定している内容だったりするんです。
その中の一つについての僕の思いは、前に見たドキュメンタリー映画「死刑弁護人」を思い起こさせます。この弁護士の方には悪いとは思いますが、とても違和感を覚えました。
人間の生きる権利はどこにあるのか。それを思うと苦しくなってきます。
そしてそう思う自分のほうがよっぽど凶悪なのではないかと。
分別のつかない人は絶対に見て欲しくないし、誠実な人にもおすすめは出来ないのですが、自分を見返す為に見る価値はある映画だと思います。
暴力描写が激しいので、見れない人は見ないほうがいいです。
僕も苦手なのですが。
ストーリーは、凶悪犯で死刑囚の告白を基に雑誌記者が共犯者を追い込むという話です。
ポスターと予告編だけで、そのほかの事前情報は全く無しで見ましたが、あとで調べると、原作の小説は実際にあった事件を基にしているんですね。
でもそういう事を知らないで見ても十分にリアルです。
何が怖いって、よくある暴力描写って狂気を伴なって表現されるじゃないですか。
でもそうじゃなくて、至極冷静なんです。目的がハッキリしていて手段として冷静に実行してしかも楽しんでいるんです。
その姿を見せられるとぞーっとしてきます。ああ、これが商売なんだって。
これが演技なんだから役者ってすごいです。
この映画を宣伝するならたぶん暴力描写をとりあげるのが正攻法で予告編もそうなっているのですが、映画を実際に見ると、もっと怖いです。
あぁ、そっちかぁ、と落ち込んできます。
一つは家庭の問題。もう一つは善悪の問題です。
どちらについても、いろんな方向に対して追求していて一つではありません。
その矛先はこの映画を作っていること自体をそもそも否定している内容だったりするんです。
その中の一つについての僕の思いは、前に見たドキュメンタリー映画「死刑弁護人」を思い起こさせます。この弁護士の方には悪いとは思いますが、とても違和感を覚えました。
人間の生きる権利はどこにあるのか。それを思うと苦しくなってきます。
そしてそう思う自分のほうがよっぽど凶悪なのではないかと。
分別のつかない人は絶対に見て欲しくないし、誠実な人にもおすすめは出来ないのですが、自分を見返す為に見る価値はある映画だと思います。
日曜日, 8月 04, 2013
終の信託 死に至らない苦しみ
最近映画館でもDVDでも全く映画を見ていません。
久しぶりに借りてきたのがこれ。
同じような雰囲気に同じようなキャストの映画が立て続けに出ていた頃の一本。「終の信託(ついのしんたく)」です。
時期が悪かったですね。今頃見ました。
ちょっと予告編の作りも悪かったし、役者陣も好みじゃなかったしね。
でも話の内容だけに集中して見ると、かなり興味深い話になっていました。
見ていくとわかりますが、人が死ぬ姿を語っている部分が出てきます。言葉の選び方が真に迫っていました。
一言でいえば、尊厳死の話です。
でも、一般に言われる法律上で争われている尊厳死と、ほんとに人を尊重して死なせることとは、大きく隔たりがあります。
「生きていればこそ」なんて無責任な事を言う人たちがたくさんいます。
でもそれは声高に正義を振りかざしてくる暴力的な言い分だと昔から思っていました。
でもこれは重い病気の話だけではありません。
人は生きたいのではなくて、幸せになりたいはずです。
耐え難い苦しみから逃れられない人だって沢山います。生まれながらに苦痛を背負っている人だって沢山います。
そういう人たちが苦しみから解放されようとすることを、苦しみが理解できない人たちが、強引に押さえつけて拷問を続けているのが現在の世の中だろうと思っています。
昔は介錯人のいう考え方がありました。
農民や庶民と違って、武士に限られますが、切腹が認められる場合がったわけで、苦しまないように介錯人が止めを刺してあげるんですね。情けをかけるというのはそういうことです。
情け容赦の無い現在ではそんなことはまず無理です。
形式上の正義に基づいた親切や思いやりだけが良しとされます。
しかもこの正義は明文化されたものだけではありません。
万人の総意がつくりだす常識というあいまいなものであったりもします。
本当にそれは常識でしょうか?万人としてまとめた時の意見と、個人の中だけに留めている実は共通の意見というものとは、実は全く違うのではないでしょうか?
みんなが内心間違っていると思っていることでも、表に出ると正しいとしてしまう、そんな集団心理はないでしょうか?
だいぶ話がずれてしまいました。
もっと映画という目線での中身についての話は沢山あるんですけど、長くなるのでこれぐらいで。
終末医療についてどう考えるかだけでなく、もっと長い苦しみについてどう考えるか、身近な人たちに聞くのは、なかなかはばかれるけど、聞いてみたいことの一つを示してくれた話でした。
見てみてください。ぜひ感想を聞いてみたいです。
久しぶりに借りてきたのがこれ。
同じような雰囲気に同じようなキャストの映画が立て続けに出ていた頃の一本。「終の信託(ついのしんたく)」です。
時期が悪かったですね。今頃見ました。
ちょっと予告編の作りも悪かったし、役者陣も好みじゃなかったしね。
でも話の内容だけに集中して見ると、かなり興味深い話になっていました。
見ていくとわかりますが、人が死ぬ姿を語っている部分が出てきます。言葉の選び方が真に迫っていました。
一言でいえば、尊厳死の話です。
でも、一般に言われる法律上で争われている尊厳死と、ほんとに人を尊重して死なせることとは、大きく隔たりがあります。
「生きていればこそ」なんて無責任な事を言う人たちがたくさんいます。
でもそれは声高に正義を振りかざしてくる暴力的な言い分だと昔から思っていました。
でもこれは重い病気の話だけではありません。
人は生きたいのではなくて、幸せになりたいはずです。
耐え難い苦しみから逃れられない人だって沢山います。生まれながらに苦痛を背負っている人だって沢山います。
そういう人たちが苦しみから解放されようとすることを、苦しみが理解できない人たちが、強引に押さえつけて拷問を続けているのが現在の世の中だろうと思っています。
昔は介錯人のいう考え方がありました。
農民や庶民と違って、武士に限られますが、切腹が認められる場合がったわけで、苦しまないように介錯人が止めを刺してあげるんですね。情けをかけるというのはそういうことです。
情け容赦の無い現在ではそんなことはまず無理です。
形式上の正義に基づいた親切や思いやりだけが良しとされます。
しかもこの正義は明文化されたものだけではありません。
万人の総意がつくりだす常識というあいまいなものであったりもします。
本当にそれは常識でしょうか?万人としてまとめた時の意見と、個人の中だけに留めている実は共通の意見というものとは、実は全く違うのではないでしょうか?
みんなが内心間違っていると思っていることでも、表に出ると正しいとしてしまう、そんな集団心理はないでしょうか?
だいぶ話がずれてしまいました。
もっと映画という目線での中身についての話は沢山あるんですけど、長くなるのでこれぐらいで。
終末医療についてどう考えるかだけでなく、もっと長い苦しみについてどう考えるか、身近な人たちに聞くのは、なかなかはばかれるけど、聞いてみたいことの一つを示してくれた話でした。
見てみてください。ぜひ感想を聞いてみたいです。
金曜日, 5月 31, 2013
映画 エンディングノート を思い出して
今月はここに書こうと思う映画が見れていなくて月末になってしまいました。
なので、半年以上前に見た作品について書いておきます。
この「エンディングノート」は去年10月ごろ再上映で映画館で見ました。すぐに書こうと思う気になれず、ずっと気持ちの整理がつくまで待っていたのですが、結局そういう事にはならず、いまだにずっとざわざわしたままです。
内容は、定年過ぎても働いていた熱血営業マンだった主人公が会社を辞めた直後の話です。末期がんの宣告を受けたのですが、何をするにも段取りにこだわってきた性格から、自分の死の段取りをしていく、その姿を追いかけ続けた、ドキュメンタリー作品です。
この作品、映像を撮っているドキュメンタリー監督は主人公の娘であるという事もあり、非常に生々しい内容になっています。
といっても、激しいとかではなく、当事者として近い位置で表情や言葉が映像に記録されているということです。
段取りというとおり、"死ぬまでの間にやりたいことリスト"というだけではなくて、死んだときに何をするかという段取り全てをノートに書き上げて指示するということなわけです。
映画で「死ぬまでにしたい10のこと」とかよくありますが、エンディングノートという言葉の意味はそういう事ではなくて、遺言状に近いものです。
遺言状では財産分与のことがほとんどなわけですが、そうではなくて、自分が動けなくなってからどういう風にするかとか、死んだ時の連絡先リストとか葬式の出し方とか、その後の話も法律上の問題に関係なく全て好きなように書いておくというもののようで、一般的に存在するもののようです。
この主人公は生きているうちに出来る死ぬまでの段取りは、すべて自分で済ませておこうという、なんとも段取り命の人なのがおもしろいという観点で作られています。
だから、そんなに重たい内容ではなく、普通の人にとっては見た後に落ち込んでしまってダメージが大きいというような部分を狙ったものではありません。
僕も見ていて全体としては楽しかったです。「ああ、このおじさんやってるやってる(笑)」って感じでした。
自分の母親と妻とが仲が悪いのをどうにかしてから死にたいというのがあって、苦労しているけどうまくいかないとか、そんな場面など、苦笑しながらおもしろいです。
そういう所がいやらしくないんです。難病ものとか、そういう系って、同情をあおって押し付けて泣かせるみたいなものばかりじゃないですか。
押し付け中毒の映画は見たくないんですよ。この映画は全く違っていて、おもしろおかしく見せてくれます。
ただ、僕なりの観点から見た感想としては、人と人とがどれだけ理解し合える・・・いや分かり合えないのかという人間の限界を見せつけられてしまったという感じもあります。
ドキュメンタリーなので、ネタばれがどうのということが無いので書いてしまいますが、人と人とはたとえ夫婦であっても、親子であっても、結局、死ぬ瞬間に至っても分かり合えないで終わるのだなぁ、とかなり強烈に印象付けられてしまいました。
特に夫婦の意識の離れ具合ははっきりと見て取ることが出来ます。
また監督の演出の本意なのか否かわかりませんが、終わりのコメントについても、僕なりに感じた主人公本人の思いと、全く違った感じで終わらせています。
その終わり方のおかげで娘であった監督も結局他人の事は思いやれないんだなと、痛切に感じさせる結果となっています。
もしかしたら、その様に感じたのは僕だけかもしれませんが。
この映画、残念ながらTSUTAYAには置いていないんですよねぇ。見返そうと思って検索したのですがありませんでした。
映画館で再上映されるか、DVDを買うしか見る方法はありません。DVD買って手元においておきたくは無いですよねぇ。
こういう映画だからこそレンタルで見た後は返却してしまいたいのに。。。。
何かの機会に見かけたら、ぜひどうぞ。これは一見の価値があります。
なので、半年以上前に見た作品について書いておきます。
この「エンディングノート」は去年10月ごろ再上映で映画館で見ました。すぐに書こうと思う気になれず、ずっと気持ちの整理がつくまで待っていたのですが、結局そういう事にはならず、いまだにずっとざわざわしたままです。
内容は、定年過ぎても働いていた熱血営業マンだった主人公が会社を辞めた直後の話です。末期がんの宣告を受けたのですが、何をするにも段取りにこだわってきた性格から、自分の死の段取りをしていく、その姿を追いかけ続けた、ドキュメンタリー作品です。
この作品、映像を撮っているドキュメンタリー監督は主人公の娘であるという事もあり、非常に生々しい内容になっています。
といっても、激しいとかではなく、当事者として近い位置で表情や言葉が映像に記録されているということです。
段取りというとおり、"死ぬまでの間にやりたいことリスト"というだけではなくて、死んだときに何をするかという段取り全てをノートに書き上げて指示するということなわけです。
映画で「死ぬまでにしたい10のこと」とかよくありますが、エンディングノートという言葉の意味はそういう事ではなくて、遺言状に近いものです。
遺言状では財産分与のことがほとんどなわけですが、そうではなくて、自分が動けなくなってからどういう風にするかとか、死んだ時の連絡先リストとか葬式の出し方とか、その後の話も法律上の問題に関係なく全て好きなように書いておくというもののようで、一般的に存在するもののようです。
この主人公は生きているうちに出来る死ぬまでの段取りは、すべて自分で済ませておこうという、なんとも段取り命の人なのがおもしろいという観点で作られています。
だから、そんなに重たい内容ではなく、普通の人にとっては見た後に落ち込んでしまってダメージが大きいというような部分を狙ったものではありません。
僕も見ていて全体としては楽しかったです。「ああ、このおじさんやってるやってる(笑)」って感じでした。
自分の母親と妻とが仲が悪いのをどうにかしてから死にたいというのがあって、苦労しているけどうまくいかないとか、そんな場面など、苦笑しながらおもしろいです。
そういう所がいやらしくないんです。難病ものとか、そういう系って、同情をあおって押し付けて泣かせるみたいなものばかりじゃないですか。
押し付け中毒の映画は見たくないんですよ。この映画は全く違っていて、おもしろおかしく見せてくれます。
ただ、僕なりの観点から見た感想としては、人と人とがどれだけ理解し合える・・・いや分かり合えないのかという人間の限界を見せつけられてしまったという感じもあります。
ドキュメンタリーなので、ネタばれがどうのということが無いので書いてしまいますが、人と人とはたとえ夫婦であっても、親子であっても、結局、死ぬ瞬間に至っても分かり合えないで終わるのだなぁ、とかなり強烈に印象付けられてしまいました。
特に夫婦の意識の離れ具合ははっきりと見て取ることが出来ます。
また監督の演出の本意なのか否かわかりませんが、終わりのコメントについても、僕なりに感じた主人公本人の思いと、全く違った感じで終わらせています。
その終わり方のおかげで娘であった監督も結局他人の事は思いやれないんだなと、痛切に感じさせる結果となっています。
もしかしたら、その様に感じたのは僕だけかもしれませんが。
この映画、残念ながらTSUTAYAには置いていないんですよねぇ。見返そうと思って検索したのですがありませんでした。
映画館で再上映されるか、DVDを買うしか見る方法はありません。DVD買って手元においておきたくは無いですよねぇ。
こういう映画だからこそレンタルで見た後は返却してしまいたいのに。。。。
何かの機会に見かけたら、ぜひどうぞ。これは一見の価値があります。
土曜日, 4月 27, 2013
アイアンマン3 IMAX3D見ました。苦悩。
ゴールデンウィーク突入してしまうとめちゃ込みになる事まちがいなしなので、初日というか先行公開の金曜日に早速見てきました。
これは、どうやってネタばれしないで感想をいうか難しすぎますね。
内容の前の話として、久しぶりにIMAX3Dで見てきました。やはり字幕で3Dはきついですね。焦点調整が追いつきません。
っというか、普通は字幕って見ている時もあるけど、ほとんどちゃんと見ていなくて視界の片隅にあって、耳で聞いている台詞の補助として見えるのが理想なわけです。だからしゃべっている人と同じ距離に字幕の焦点が合っていないと見えないんですよね。
洋画が字幕無しで見れるようになりたいなぁ。
日本で字幕が3D映画需要の足を引っ張っていると僕は思います。
そういう意味ではディズニーアニメの吹き替え映画は3Dの最強コンテンツですね。
アニメでも下手なタレントではなくてちゃんとしたプロの声優で吹き替えて欲しいです。
・・・と僕の目の老化の話はここまでにして、アイアンマン3よかったです。
今回は3部作の最後と言う事で、アイアンマンファンの僕としては名残惜しい感じです。
ストーリーはシリーズ1、2、そして「アベンジャーズ」を見ていないと分かりません。
公式サイトにあるとおり、アベンジャーズから一年たった話です。
世界はアメリカがアイアンマン登場とアイアンマンスーツをアメリカ軍に1つ提供しているという事から、絶対的に強い立場になりそれによって世界の均衡を保っているという状態ではあるものの、
一方でアベンジャーズでは異世界から敵が攻めてくるという、絶対的な力の差を見せつけられてしまい、それにどうやって対抗すべきかという問題を抱えていました。
それによりアイアンマンだけに頼るという状態は許せないという政府の圧力が強くなっていました。
そんな中、アメリカ中を震撼させるテロ組織が登場し・・・。
という話です。
やっぱアメリカ一番なのねぇと卑屈になって見てしまう日本人もいるでしょうが、よーく見るとアメリカが一番の時代は終わったよという事を裏に隠しています。敵は世界を脅かす恐怖という意味合いのほかに、アメリカが一番と思っていても、時代が変わっているんだよという裏の意味があると解釈しました。
あと面白いのは、マーベルコミックというアメコミメーカーなのに西海岸側中心に話が展開しています。トニースタークの自宅がカリフォルニアにあるからなんですが、それ以外でも西海岸側によっているのか珍しく感じました。
普通は他のアメコミの話の中心はいつもマンハッタンのものすごい狭い地域に集中しているので、他のアメコミもよく見てみてください。あのアベンジャーズでさえ結局マンハッタンのとある交差点の一箇所に固まって戦っていましたからね(笑)
そしてアイアンマン3の中身のほうですが、世界を救うヒーローという感じではなく、苦悩を続ける話になっています。
普通ならその苦悩を乗り越えて、じゃじゃーんという事になるんですが、そうなるかどうかは見てみてください。
人が絶対に乗り越えられない壁を見せつけられてしまい、それでもそこから逃れることが出来ない時に、その解決の答えは見つかるのか見つからないのか。そもそも超えられないのか、逃げられないのか。
うううむ悩ましい。
そして、随所に出てくるのが、スーツがなくちゃどうにもらないないよという台詞。アイアンマンスーツにトニースタークだけでなく、そのほかの人も依存しすぎているという事をあらわしています。
科学者や技術者は、新しいものを作ることに精神的に依存しすぎているし、それを利用する人たちは科学技術の存在に依存しすぎています。そんな脆弱な世の中を利用し、裏では悪いやつがいっぱいのさばっているという構図は世の中をよく写し取っていると思います。
そんな暗い話ではありますが、やっぱりそこはアイアンマンシリーズです。爽快なところがちゃんとあります。
いくつも、えっ!そうくる!ってところが出てきて、見ているほうをしびれさせます。
そのほか、エンディングがかっこいいです。なんというんでしょうか、これぞアメコミって感じです。
そういう意味では今回は、予告編は見ないほうがいい気がします。うぉ!って感覚が予告編を見たおかげで薄くなってしまったところがいくつかありました。
映画見た後で予告編をどうぞ。
ファンなら見ないわけにはいきません。
ゴールデンウィークにどうぞ。
これは、どうやってネタばれしないで感想をいうか難しすぎますね。
内容の前の話として、久しぶりにIMAX3Dで見てきました。やはり字幕で3Dはきついですね。焦点調整が追いつきません。
っというか、普通は字幕って見ている時もあるけど、ほとんどちゃんと見ていなくて視界の片隅にあって、耳で聞いている台詞の補助として見えるのが理想なわけです。だからしゃべっている人と同じ距離に字幕の焦点が合っていないと見えないんですよね。
洋画が字幕無しで見れるようになりたいなぁ。
日本で字幕が3D映画需要の足を引っ張っていると僕は思います。
そういう意味ではディズニーアニメの吹き替え映画は3Dの最強コンテンツですね。
アニメでも下手なタレントではなくてちゃんとしたプロの声優で吹き替えて欲しいです。
・・・と僕の目の老化の話はここまでにして、アイアンマン3よかったです。
今回は3部作の最後と言う事で、アイアンマンファンの僕としては名残惜しい感じです。
ストーリーはシリーズ1、2、そして「アベンジャーズ」を見ていないと分かりません。
公式サイトにあるとおり、アベンジャーズから一年たった話です。
世界はアメリカがアイアンマン登場とアイアンマンスーツをアメリカ軍に1つ提供しているという事から、絶対的に強い立場になりそれによって世界の均衡を保っているという状態ではあるものの、
一方でアベンジャーズでは異世界から敵が攻めてくるという、絶対的な力の差を見せつけられてしまい、それにどうやって対抗すべきかという問題を抱えていました。
それによりアイアンマンだけに頼るという状態は許せないという政府の圧力が強くなっていました。
そんな中、アメリカ中を震撼させるテロ組織が登場し・・・。
という話です。
やっぱアメリカ一番なのねぇと卑屈になって見てしまう日本人もいるでしょうが、よーく見るとアメリカが一番の時代は終わったよという事を裏に隠しています。敵は世界を脅かす恐怖という意味合いのほかに、アメリカが一番と思っていても、時代が変わっているんだよという裏の意味があると解釈しました。
あと面白いのは、マーベルコミックというアメコミメーカーなのに西海岸側中心に話が展開しています。トニースタークの自宅がカリフォルニアにあるからなんですが、それ以外でも西海岸側によっているのか珍しく感じました。
普通は他のアメコミの話の中心はいつもマンハッタンのものすごい狭い地域に集中しているので、他のアメコミもよく見てみてください。あのアベンジャーズでさえ結局マンハッタンのとある交差点の一箇所に固まって戦っていましたからね(笑)
そしてアイアンマン3の中身のほうですが、世界を救うヒーローという感じではなく、苦悩を続ける話になっています。
普通ならその苦悩を乗り越えて、じゃじゃーんという事になるんですが、そうなるかどうかは見てみてください。
人が絶対に乗り越えられない壁を見せつけられてしまい、それでもそこから逃れることが出来ない時に、その解決の答えは見つかるのか見つからないのか。そもそも超えられないのか、逃げられないのか。
うううむ悩ましい。
そして、随所に出てくるのが、スーツがなくちゃどうにもらないないよという台詞。アイアンマンスーツにトニースタークだけでなく、そのほかの人も依存しすぎているという事をあらわしています。
科学者や技術者は、新しいものを作ることに精神的に依存しすぎているし、それを利用する人たちは科学技術の存在に依存しすぎています。そんな脆弱な世の中を利用し、裏では悪いやつがいっぱいのさばっているという構図は世の中をよく写し取っていると思います。
そんな暗い話ではありますが、やっぱりそこはアイアンマンシリーズです。爽快なところがちゃんとあります。
いくつも、えっ!そうくる!ってところが出てきて、見ているほうをしびれさせます。
そのほか、エンディングがかっこいいです。なんというんでしょうか、これぞアメコミって感じです。
そういう意味では今回は、予告編は見ないほうがいい気がします。うぉ!って感覚が予告編を見たおかげで薄くなってしまったところがいくつかありました。
映画見た後で予告編をどうぞ。
ファンなら見ないわけにはいきません。
ゴールデンウィークにどうぞ。
水曜日, 3月 13, 2013
ミュージカル見てきましたよぉー。初体験レポート。
初体験です。
先週ミュージカルを見てきました。
レ・ミゼラブルを見てミュージカルもいいなと思い、縁もあって初のミュージカル鑑賞です。
内容は「サウンド・オブ・ミュージック」。
今、浜松町の劇団四季 自由劇場で公演中です。
さすがに一人で行くのは心細いので、最近知り合ったミュージカル大好きというロンドンっ子の友達に頼んだら快く承諾してくれました。日本語で見るのは初めてで興味があったみたい。
持つべきものは友達ですね。
浜松町という銀座と微妙な距離感をもった場所にあり、東京タワーへも歩いていける距離です。
東京タワーとは反対方向に徒歩10分程度なのですが、その道のりが繁華街から遠のいていく感じか、なんとも高尚な特異空間へ足を踏み入れるようでぞくぞくしました。
一瞬、行き過ぎてしまいそうになり振り返ると、ちょっとわかりにくい奥まったところにドドーンとありました。
歩いてくるとき周りに人が結構多かったのですが、まさかその人たちのうちの結構な人数が同じ場所へ向かっていたなんて思っても見ませんでした。
ここで今やっているのは「サウンド・オブ・ミュージック」と「ライオンキング」
劇場の中は残念ながら撮影禁止なので写真はここまでですが、ロビーはちょっと古めのシネコンに似ていてごく普通なのですが、劇場内がすごい。
座席が3階まであるのです。
僕たちの席は3階最前列。バルコニーと呼ばれているそうです。下を覗き込むとちょっと怖いぐらいの場所で、前のめりになって見るんです。高所恐怖症の人には無理ですね。
僕はいたって大丈夫。アホですから(笑)
あまりに高いところなので、舞台の奥のほうは、頭を低くして覗き込まないと見れません。
1階や2階だと1万円近くするので、4000円のバルコニーは庶民にとってありがたいってわけです。
2階席の後ろのほうとかはもっと安いのですけど、後ろで見れないんじゃ意味ありませんからね。
バルコニーの最前列っていうのはいい選択だと思います。ちなみに一緒に言った友達にバルコニーにすることを決めてもらいました。さすがです。
その友達曰く、ロンドンの劇場はもっと広いって言っていました。バルコニーも後ろだけではなく左右にあるそうです。
この劇場は舞台の大きさに対して、三次元の縦方向のほうが長いんじゃないかと思うぐらいです。
それでもって、こんなふうに始まるわけです。
やっぱり急に歌いだすんですね(笑)
でも慣れているっていう事は恐ろしいことで、受け入れられてしまいました。レミゼの映画恐るべしです。
そして、台詞。なんとしても滑舌よく大声をだすことを重視しているようで、感情を入れ込むってことは難しいのかなぁ。子役が棒読みなのはかまわないのですが。
映画慣れしていると芝居の仕方が全く違うのでそこは違和感でした。
マイクがどこかにあるようで、声はスピーカーから聞こえてくるので、なおさらはっきりくっきり言葉が聞こえてきます。
最初は歌ったり踊ったりするのに全く息切れしないで台詞を言っているので、これってクチパクなのか?ともったら、1回だけ台詞に詰まりました。おぉこれ今声出しているんだと、そこでわかりました。
それにしては息切れしていない様子なのですごいと思います。
物語は、第二次大戦直前のオーストリアが舞台になっていて、妻に先立たれた超お金持ちの軍人さんの家族と、修道院から家庭教師としてやってきた先生の話です。
レミゼと違ってコメディー要素がはいっていますので、そこは笑えます。劇場内からも笑いが起きていました。
一人道化役の人がいるので、全体がやわらかくなっています。
物語の展開が結構速く、シーンが変わったときにいったい何がどうなっているのかついていけなくなるときがあります。どうやらこれは何度も見ていて内容をしっていることが前提になっているということだそうです。ミュージカル好きな人はなんども同じ内容のものを見に行くんですね。
なるほど、まったく考え方が違うんだなぁと。
映画を見る人たちが寝たばれがどうのこうのと文句をつけているのが、ちっちゃなことだと思えてしまいます。
ということは目で見たその時の最初の感覚というよりも、なんども消化して自分の中で組み立てて、舞台の上の演者はその案内役という感じなのでしょうか?
そしてやはりミュージカルですから、歌ですよね。
知っている曲がたくさん出てきました。
もちろん、「ドレミの歌」でしょ。それから、京都行こうのJRのCMの歌とか、絶対聞いた事あるんだけどこれなんだっけ?っていう曲がたくさん出てきて、それだけで嬉しくなりました。
この「ドレミの歌」なんですけど、友達はもとものの英語の歌詞とまるでちがっているので、変だよって言っていましたね。とくにドレミファソラ「シ」の「シ」なんて音はそもそも無いようです。
日本の音楽の先生がドレミを説明していてまるで変てこだったそうです。
さて、公演時間は途中に休憩が入って3時間近かったんじゃないかと。
しかもその間ものすごい高いところから前のめりになってみていたわけで、腰が痛いのなんの(笑)
バルコニーの手すりに当たる部分はソファーの肘掛のようになっていて気持ちよくうつぶせることが出来るのは
このためなんですね。
今回は演目の内容そのものよりもミュージカルという仕組みのほうに興味がいってしまいました。
ロンドンやブロードウェイでも見て比較してみたいなぁと思いますが、まあそんな機会がいつ来ることやら。
先週ミュージカルを見てきました。
レ・ミゼラブルを見てミュージカルもいいなと思い、縁もあって初のミュージカル鑑賞です。
内容は「サウンド・オブ・ミュージック」。
今、浜松町の劇団四季 自由劇場で公演中です。
さすがに一人で行くのは心細いので、最近知り合ったミュージカル大好きというロンドンっ子の友達に頼んだら快く承諾してくれました。日本語で見るのは初めてで興味があったみたい。
持つべきものは友達ですね。
浜松町という銀座と微妙な距離感をもった場所にあり、東京タワーへも歩いていける距離です。
東京タワーとは反対方向に徒歩10分程度なのですが、その道のりが繁華街から遠のいていく感じか、なんとも高尚な特異空間へ足を踏み入れるようでぞくぞくしました。
一瞬、行き過ぎてしまいそうになり振り返ると、ちょっとわかりにくい奥まったところにドドーンとありました。
歩いてくるとき周りに人が結構多かったのですが、まさかその人たちのうちの結構な人数が同じ場所へ向かっていたなんて思っても見ませんでした。
ここで今やっているのは「サウンド・オブ・ミュージック」と「ライオンキング」
劇場の中は残念ながら撮影禁止なので写真はここまでですが、ロビーはちょっと古めのシネコンに似ていてごく普通なのですが、劇場内がすごい。
座席が3階まであるのです。
僕たちの席は3階最前列。バルコニーと呼ばれているそうです。下を覗き込むとちょっと怖いぐらいの場所で、前のめりになって見るんです。高所恐怖症の人には無理ですね。
僕はいたって大丈夫。アホですから(笑)
あまりに高いところなので、舞台の奥のほうは、頭を低くして覗き込まないと見れません。
1階や2階だと1万円近くするので、4000円のバルコニーは庶民にとってありがたいってわけです。
2階席の後ろのほうとかはもっと安いのですけど、後ろで見れないんじゃ意味ありませんからね。
バルコニーの最前列っていうのはいい選択だと思います。ちなみに一緒に言った友達にバルコニーにすることを決めてもらいました。さすがです。
その友達曰く、ロンドンの劇場はもっと広いって言っていました。バルコニーも後ろだけではなく左右にあるそうです。
この劇場は舞台の大きさに対して、三次元の縦方向のほうが長いんじゃないかと思うぐらいです。
それでもって、こんなふうに始まるわけです。
やっぱり急に歌いだすんですね(笑)
でも慣れているっていう事は恐ろしいことで、受け入れられてしまいました。レミゼの映画恐るべしです。
そして、台詞。なんとしても滑舌よく大声をだすことを重視しているようで、感情を入れ込むってことは難しいのかなぁ。子役が棒読みなのはかまわないのですが。
映画慣れしていると芝居の仕方が全く違うのでそこは違和感でした。
マイクがどこかにあるようで、声はスピーカーから聞こえてくるので、なおさらはっきりくっきり言葉が聞こえてきます。
最初は歌ったり踊ったりするのに全く息切れしないで台詞を言っているので、これってクチパクなのか?ともったら、1回だけ台詞に詰まりました。おぉこれ今声出しているんだと、そこでわかりました。
それにしては息切れしていない様子なのですごいと思います。
物語は、第二次大戦直前のオーストリアが舞台になっていて、妻に先立たれた超お金持ちの軍人さんの家族と、修道院から家庭教師としてやってきた先生の話です。
レミゼと違ってコメディー要素がはいっていますので、そこは笑えます。劇場内からも笑いが起きていました。
一人道化役の人がいるので、全体がやわらかくなっています。
物語の展開が結構速く、シーンが変わったときにいったい何がどうなっているのかついていけなくなるときがあります。どうやらこれは何度も見ていて内容をしっていることが前提になっているということだそうです。ミュージカル好きな人はなんども同じ内容のものを見に行くんですね。
なるほど、まったく考え方が違うんだなぁと。
映画を見る人たちが寝たばれがどうのこうのと文句をつけているのが、ちっちゃなことだと思えてしまいます。
ということは目で見たその時の最初の感覚というよりも、なんども消化して自分の中で組み立てて、舞台の上の演者はその案内役という感じなのでしょうか?
そしてやはりミュージカルですから、歌ですよね。
知っている曲がたくさん出てきました。
もちろん、「ドレミの歌」でしょ。それから、京都行こうのJRのCMの歌とか、絶対聞いた事あるんだけどこれなんだっけ?っていう曲がたくさん出てきて、それだけで嬉しくなりました。
この「ドレミの歌」なんですけど、友達はもとものの英語の歌詞とまるでちがっているので、変だよって言っていましたね。とくにドレミファソラ「シ」の「シ」なんて音はそもそも無いようです。
日本の音楽の先生がドレミを説明していてまるで変てこだったそうです。
さて、公演時間は途中に休憩が入って3時間近かったんじゃないかと。
しかもその間ものすごい高いところから前のめりになってみていたわけで、腰が痛いのなんの(笑)
バルコニーの手すりに当たる部分はソファーの肘掛のようになっていて気持ちよくうつぶせることが出来るのは
このためなんですね。
今回は演目の内容そのものよりもミュージカルという仕組みのほうに興味がいってしまいました。
ロンドンやブロードウェイでも見て比較してみたいなぁと思いますが、まあそんな機会がいつ来ることやら。
水曜日, 2月 20, 2013
ゼロ・ダーク・サーティ見ました。男泣きです。
なんかすごいらしいという話は聞こえてきていたのですが、実際に見てすごかったです。
これは男泣きする映画ですね。
あらすじや物語の設定に関しては、題材が題材なだけに文字としては書きづらいです。
変に検索に引っかかってしまいたくないので。
物語の設定に関しては、公式サイトなどを参照してください。
http://zdt.gaga.ne.jp/
公式サイトで内容を見ていただければわかると思います。
アメリカでもあまり絶賛しているわけではないのは、それがしにくい内容だからではないでしょうか。
それでも設定がどうであるかとは別の所でも、とても没入感のある映画です。
一言で言って、僕には執念を描いていると見えました。
執念はどのようにして生まれ、どうやって育っていったか。そんな風に見えました。
おそらく、仕事に入れ込んでいる人であればとても共感が出来るのではないでしょうか。
主人公の女性が、最初にこの仕事を始めたときの姿から、徐々に変わっていき、執念の人に変貌していきます。
現実にはみんな妥協に流されて生きているわけです。
それでも中には何かにこだわり自分の全てを賭けている人っていますよね。そういう人っていわゆる仕事の鬼とかではなく、もっと別次元の何かが元になって人生全て賭けちゃっていたりします。
映画の中でもこころざし半ばで離脱したりさせられたりして、たくさんの人が失脚していきます。その中で主人公は何とか残り執念を燃やすんです。
そういう人をみると自分はなんて駄目なやつなんだろうと、悔しくなってきます。
この映画の中で僕が一番泣きそうになったシーンは、主人公とCIA長官が食堂で話しているシーンです。映画の中の主人公この気持ちではなく、見ている自分が様が悔しくて男泣きをしました。もしよかったらそこを注意して見てみてください。
映画のつくりとしては、爆破シーンがとても重要です。1つ1つの爆破シーンにとても重い意味が込められています。その音圧を映画館で感じて余計にその重さを感じることができたと思います。アクション映画でドッカンドッカン爆発しているのとは意味が違います。
そうなんですよね。現実にはとても重い意味があるんです。
上映時間は158分とかなり長いのですが、長いって気付きませんでした。
ぜひこれは映画館で重さを感じながら見てください。
これは男泣きする映画ですね。
あらすじや物語の設定に関しては、題材が題材なだけに文字としては書きづらいです。
変に検索に引っかかってしまいたくないので。
物語の設定に関しては、公式サイトなどを参照してください。
http://zdt.gaga.ne.jp/
公式サイトで内容を見ていただければわかると思います。
アメリカでもあまり絶賛しているわけではないのは、それがしにくい内容だからではないでしょうか。
それでも設定がどうであるかとは別の所でも、とても没入感のある映画です。
一言で言って、僕には執念を描いていると見えました。
執念はどのようにして生まれ、どうやって育っていったか。そんな風に見えました。
おそらく、仕事に入れ込んでいる人であればとても共感が出来るのではないでしょうか。
主人公の女性が、最初にこの仕事を始めたときの姿から、徐々に変わっていき、執念の人に変貌していきます。
現実にはみんな妥協に流されて生きているわけです。
それでも中には何かにこだわり自分の全てを賭けている人っていますよね。そういう人っていわゆる仕事の鬼とかではなく、もっと別次元の何かが元になって人生全て賭けちゃっていたりします。
映画の中でもこころざし半ばで離脱したりさせられたりして、たくさんの人が失脚していきます。その中で主人公は何とか残り執念を燃やすんです。
そういう人をみると自分はなんて駄目なやつなんだろうと、悔しくなってきます。
この映画の中で僕が一番泣きそうになったシーンは、主人公とCIA長官が食堂で話しているシーンです。映画の中の主人公この気持ちではなく、見ている自分が様が悔しくて男泣きをしました。もしよかったらそこを注意して見てみてください。
映画のつくりとしては、爆破シーンがとても重要です。1つ1つの爆破シーンにとても重い意味が込められています。その音圧を映画館で感じて余計にその重さを感じることができたと思います。アクション映画でドッカンドッカン爆発しているのとは意味が違います。
そうなんですよね。現実にはとても重い意味があるんです。
上映時間は158分とかなり長いのですが、長いって気付きませんでした。
ぜひこれは映画館で重さを感じながら見てください。
日曜日, 1月 27, 2013
自作OS:CD-ROMアクセス
またまたひさしぶりに自作OSのアップデートです。
ウィンドウシステムでフロッピーディスクの容量不足の危機が迫っていましたが、大容量化はCD-ROMを使うことにしました。
詳しくはこちら。
こうじのがく まとめ
結局VMWare頼りなのでそうせざるを得ないです。
まだテスト段階でやらなければならない事は山ほどありますが、とりあえずCD-ROMにアクセスできているところが分かる状態になっています。
他の自作OSでは起動前にBIOSからRAMにCDROMの内容をすべてアップロードしてごまかしているOSがありますが、そんなごまかしはしていません。
ちゃんとCD-ROMを差し替えれば、その内容を表示できるので試してみてください。
ウィンドウシステムでフロッピーディスクの容量不足の危機が迫っていましたが、大容量化はCD-ROMを使うことにしました。
詳しくはこちら。
こうじのがく まとめ
結局VMWare頼りなのでそうせざるを得ないです。
まだテスト段階でやらなければならない事は山ほどありますが、とりあえずCD-ROMにアクセスできているところが分かる状態になっています。
他の自作OSでは起動前にBIOSからRAMにCDROMの内容をすべてアップロードしてごまかしているOSがありますが、そんなごまかしはしていません。
ちゃんとCD-ROMを差し替えれば、その内容を表示できるので試してみてください。
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