この映画は人が生きる意味を訴える映画でした。
主人公は一人で生きる事を好み、誰に縛られることも無く自由奔放に生きることがすばらしいと考えていました。
この体験をして、家族や友達や恋人とともに生きたいと強く思うように、考え方というか生き方が変わったという事なわけです。
一人で山に行って、岩にはさまれ動けなくなった時に、生きて帰るという強い意志を持ったのは、主人公が良い家族に恵まれていたからに違いありません。
生きるか死ぬかの選択をせまられた時に、どんな事をしても生きると選ぶためには、生きる事に対してそれに見合うだけの価値があるから選ぶ事ができたわけです。
生きる価値は何なのか。それは人それぞれと言うのは簡単な事ですが、本当にそうでしょうか?
「一緒にいたい人たちと一緒にいたい」、これが全ての欲求をそぎ落とした最後の望み、これが生きる意味なのではないでしょうか。
では、生まれつき一緒にいたい人がいない人はどうなのでしょうか?
さて、いつもの映画紹介ですが、とても良かったです。
127時間という映画はアカデミー賞に6部門ノミネートっていうハクはついている作品で、アメリカでの評判も結構良くて人気が高かった作品です。
それが、日本に来たということで見に行きました。
ストーリーは実話で、若手の登山家が一人で軽く遊びに行って、岩と一緒に谷の隙間に落ちて腕を挟まれ動けなくなった所から、生還するというはなしです。
アメリカとかオーストラリアとかの自然公園の紹介でよくある、岩とか谷とか断崖とかあるところを自由に飛んで回る様子が気持ちいのですが、予告編で話の内容は分かっているので、いつ落ちるのかと冷や冷やしながら見てしまう所から、すでに作者の術中にはまっていました。
そして、あーっ落ちたと。くるぞくるぞと思っているところにきたわけですがビクッ~ぅてなってしまいました。
生還するための最後の落ちというのも見る前から分かっている訳で、それもくるくるおもっていてなかなかこないわけですよ。
そりゃそれがこの話の最後の場面なわけですからすぐにくるはずないんですが。。。。
でも、これが万が一何事も無くうまくいくのではないかと、なんども期待してしまうんです。その結末があって欲しくないと。
この映画は狭い空間の中で一人の若者がもがいているというだけで、映画が構成されているわけで、その心理を描くことが主体なので、最後の決断を下すまでの葛藤が凄くリアルなわけです。
いろいろ出てくる光景が想像なのか幻覚なのか夢なのかそれもわからなくなって、主人公の中で心の変遷に共鳴して葛藤することももちろんなのですが、
それだけでなく、映画を見ている客観的な自分としても、あって欲しくないけどそんなはずは無いというでも・・・という二重の葛藤があるわけです。
その上、描写がとてもリアルなんです。もちろん痛いシーンあります。それも以外リアルです。人が死ぬと思ったときの、思考の繊細さ表現したところがあるのですが、それなんかグッときます。
狂気と戦い冷静になろうとするところも見ていて苦しくなります。
映画を見ていてなんども、足を上げ、体をよじってしまいました。映画館の席の両隣が空いていて助かりました。
��VDで一人で見たほうがいいのかもしれませんね。恥ずかしいから(笑)
最後の終わり方はとても前向きなものです。そうでもなければ状況的に見ている人が救われませんから。
閉鎖空間で一人芝居が続く映画なので、娯楽大作が好きな人には向かないのかもしれませんが、いい映画が見たいという人には向いています。
僕としてはおすすめです。
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ちゃんと書けていないと思って追記です。
この映画の見所がどうかとは関係なく、作者が伝えたい話の核は、最後の壮絶な戦いとその後のハッピーエンドにあります。
壮絶な戦いを選んだその理由がそれまでの流れで分かっているので、見ながら僕は悶絶しているのですが、それでも最後に向けての兆候がすでに感じられています。そしてすべてを潜り抜けて一気にそれがやってきます。
それを考慮せずにこの映画は語れません。
主人公はそれまで以上に幸せになれました。 素直に見ているなら、見ている僕らも多くを学び爽快な気持ちで見終えることができます。決して落ち込む話には作ってありません。
だからこそ、おすすめしたいと思うのです。
う~ん・・・これってほぼネタバレですね。てへっ。
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