この間、都電荒川線にのったときの話を書くことが出来ないまま、2週間も経ってしまいました。
あの日は、大塚から都電荒川線に乗りました。結構満員でこれだけ人が乗っているから消えずにいられるんだなぁと思いました。
そんな満員電車の中で携帯で写真をとったらやっぱり変な目で見られてしまいました。小心者には勇気いるのです。
路面電車といっても今となっては専用の区画を走っています。それが明治通りでほぼ車道と同じところを数百メートルほど車と走ると王子駅です。僕にとっての荒川線のイメージはこの王子駅ですね。この辺から下町風景になってきます。
しばらくして気づきました。降りなくちゃって。路面電車とここでお別れです。
降りた駅は熊野前。
開通したばかりの日暮里・舎人(とねり)ライナーに乗り換2ることが出来ます。
この舎人という字がなかなか読めませんよね。僕がまだいろいろなところを散歩していた頃に舎人に行った事があり、今どうなっているのか興味があったんです。
開通したばかりということで、結構なにぎわいです。舎人町というのところは交通機関がなく。都内にありつつ陸の孤島となっていたところで、そこに電車が開通したというのはとても一大事なんです。
そしてもっと重要なのは舎人公園です。いい加減な国策のために不幸な歴史を持っています。
大規模な公園の計画が何十年にも渡って企画されては頓挫したことを繰り返したため、土地買収が中途半端にまばらに行われて立ち退いた後の整地もされず広大な廃墟の中に畑と民家がまばらに残っているという大変な土地が広がっていたんです。取り壊された家の残骸が一面に続く様子はまるで爆撃を受けた後のようでした。不法投棄も多いでしょうし取り残された住人も移るに移れず何十年もの間大変な思いをしてきたと思います。その公園建設予定地が一体どうなっているのか、とても興味があったわけです。
さて、電車に乗ると、にわかも含め鉄道マニアに方がカメラを持って結構来ていました。それに便乗して僕もかばんに入っているカメラを堂々と出して写真をとることにしました。荒川線でも鉄道マニアのふりをすればよかったって、その時思いました。
前を見ると、鉄の線路はなく舗装された場所をタイヤで走る無人の新都市交通でした。ゆりかもめと同じ仕組みですね。
とりあえず、終点の見沼代親水公園駅でおりました。
たいそうな名前が付いていますが、大きな公園施設があるわけではありません。
見沼代親水公園というのはどうやら農業用水だったところ沿いに緑を植えて公園にしたようです。
そもそも水の近くは地価が上がって治安が良くなる傾向があり、その簡易版が緑や公園なので、水と公園とう組み合わせはとても町並みを良くする為に効果があります。しかもこの公園の形というのが重要です。公園の効果は公園に隣接する土地に影響を与えます。なので丸い公園の真ん中は、周囲には影響を与えないんです。ということは面積あたりに効果を一番与えるのは細長い公園ということになり、この見沼代親水公園はあらゆる面で最大の効果が出るように作られているということになります。
鯉なんかもいたりして。
この土地は不便で舎人公園の問題も抱えていたので、この土地を守るために考え抜かれたつくりになっているんだと思います。
だいぶ公園を歩いてきて、そろそろ本線の駅に戻らなきゃということで、線路のあるだろう方向へ戻っていくと、そこらじゅうが新しい建売住宅でもともと何もない土地に急激に町が作られようとしている最中だということが分かります。すべての家と門構えが同じで自分のうちへ帰れるのだろうかと心配になってしまいます。
新しいにおいがするスーパーマーケットを通って、さらに進むと、舎人センターがあらわれました。
この辺の土地柄はもともと過疎化が進んで老人ばかりだったため老人福祉センターが作られたものです。
写真を撮ってうろうろしていると職員の人が出てきてどうしましたか?と聞かれてしまいました。
明らかに親切ではなく変質者対応でしょう。どうしても治安が悪くなり不審者がはいかいしやすい土地になっていたという過去の経緯があるからでしょう。まあ、ふつうの東京散歩の人たちはこんな場所に来ませんからね。
いい加減なことを言って振り切って逃げてくると、舎人の駅周辺に着きました。
周辺を歩いてもまったく廃墟の面影はありません。本当に沢山の住宅が建っています。そんな中、見たことがあるような無いような斬新なオブジェの公園がありました。無理に作った感いっぱいです。
そしてその横に面影が残っていました。もうこの看板がいらないほどに、町は出来つつあるということなんですね。
さらに一駅ぶん歩いて目的地に到着しました。どうやらイベント開催中だったようです。まさに今日ってわけです。
公園の中に入ってみると、なーんにもない、ただ広い小奇麗にされた土地が広がっています。
一面廃墟だったところが全部埋め立てられていました。数十年かけて出した答えがこれなんだと思うと何との納得のいかないそんな怒りに似た感覚が思いがこみ上げて来ました。
先ほど公園の形について書いた通り、この広大な土地のほとんどは周囲に良い影響を与えることは無い価値の無い場所だということも付け加えて置きます。
ゆるやかな坂を下りてイベントのメイン会場に行くと、すでに夕方になって片付けているところでした。
みんな達成感のある顔をしていました。このイベントというよりも数十年かけてみんながんばってきたことが達成したというほうに感じました。精一杯がんばってきたんです。どんな事を言われても、あの状態からここまで来たんだから。
会場を離れる途中、この土の下に眠る土地に住んでいたと思われる集団と若いイベント関係者が、良かった良かったと笑顔で語っていました。
この広大な土地がまたスラム化してしまわない事を願います。
このイベントが終わっても、公園が役になってくれることを願います。
そしてこの周辺が町として発達していくことは、下町の川向こう直前のこの辺一体の将来がかかっています。厳しいとは思いますがぜひがんばってほしいです。
もう日が暮れ始めたので舎人公園駅から電車に乗りました。
電車の窓からまだブルーシートのかかる未整備の土地が見えました。
日暮里に戻ると、あの有名な「修悦体」の案内表示が出ていました。
日々工事で駅構内の道筋が変わっているので、警備員の人が親切心から工事中の壁にビニールテープで案内表示を書き始めたんです。その字体がどくとくでアートなところが評判を呼んで有名になったんです。
文字だけじゃなくて地図まで描いちゃっています。すごいです。
何十年も始めた工事が進まなかったところから、何十年も絶えず工事がされ続けているところへ一気に来てなんともいえない感じがしました。
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