親知らず抜きました
金曜日の夕方に会社を早めに抜け、歯医者で右下の親知らずを抜いてきました。
左側の親知らずは若いころに上下とも抜いたので、真横に生えている僕の親知らずを抜くことはどれだけ大変なのかはわかっていました。
そんな事なので反対側の親知らずを抜くのをずっとためらっていました。なので今回はかなり思い切ってやりました。
前日から薬を飲んで防腐剤づけになり、診察台に座ると、本当は楽な上の歯からやるはずだったのですが、はじめてみると、やっぱり本命の下の歯からやりましょうということになりました。
あごの奥やその周りに強烈に痛い麻酔をして開始です。
真横に生えて隣の歯に直角に突き当たっているので、抜くということはできません。
歯の先のほうを削っていき隙間を作って、次に歯を縦に半分に切り分けて片方ずつ取り除いていきます。バキバキと砕きながら、とっていき、最後に根元を力ずくで抜き取ります。あとは、穴を縫って終わります。まる1時間で手術完了です。
前回は歯の根が八の字に開いているために取り出せず、あごの骨を少し削って時間も2時間かかって途中で麻酔を足したのですが、今回は骨は削らずにすみました。
一晩血は止まらないので止血の方法と痛み止めと、腫れ止め、化膿止めをもらって、帰ってきました。
麻酔が切れた後が大変何はわかっているので、帰り道のスーパーで、口をあけなくても食べられる物を買いそろえてきました。
レジでお金を払っていると、レジのおねーさんも向うのレジのおじさんもこっちを見ています。
その時は分からなかったのですが、うちに帰ってちょっと下を向いたら、赤いよだれがダラーり。
口から血を流しながら買い物をしていたようです。完全に麻酔が効いているのでまるで分からなかったんです。
一晩最悪な夜をすごしましたが、痛み止めでなんとかやりすぎしました。
まる一日過ぎた今でも顔がはれて、口をあけるのが痛いです。
少しの間は我慢ですね。
土曜日, 5月 26, 2007
日曜日, 5月 20, 2007
相模湖
久しぶりに全身フル装備をして黒ずくめになってアクセルをゆっくりと開けていくと、血が化学反応したようにゾクゾクッとしてきます。
今日はよく晴れたので洗濯をした後、ボーっとしていると、
「すごいいい天気だね」
とメールが飛んできました。
ふっと我に返り急に思い立って散歩に出かけることにしました。おもてに飛び出したものの、もう1時を回っていたので遠出もできず、相模湖に出かけてきました。
都心から中央高速に乗って3~40分も走れば到着です。
午後になってだいぶ雲が出てきましたが、暑くもなく寒くもなく心地よい涼しさです。
ここに来たのはどれぐらいぶりでしょうか?
波が穏やかに湖を覆って、そのむこうの山の緑も元気な色をしています。とは言っても観光に力を入れているわけではないので湖の上には送電線だらけだし、これと言った施設もありません。相模湖といえば発電や工業用水ように作られたダム湖でとてもきれいとは言えない場所ですから、それも仕方ありません。
湖畔の商店街まで行ってみると相変わらずさびれたたたずまいで、それにしてはどの店もつぶれずにちゃんと店を開いています。
いままで目も耳も傾けたことがなかったのですが、お腹がすいていてよっていくと、ふとおじさんの声が気になりました。
「あと3分で出向しますー」
といっているではないですか!
こんなところでも遊覧船が出ているんですね。いままでずっと視界に入っていたにもかかわらず気にかけたこともありませんでした。
とりあえず乗ってみようと思い鯨の形の小さな遊覧船に乗り込みました。
そんなことをしてみると、意外に遊覧船にも年寄りや若いのやカップルが乗っていたり、なんともう一台遊覧船があったり、こんなところにも人は来るんだなぁと感心しました。
てっきりブラックバス釣りとボート競技の練習ぐらいと日向ぼっこぐらいにしか人は来ないものと思い込んでいたのは間違いだったようです。
一周して戻ってきて、暖かい食べ物さがすのですが、海の家と大差のない店構えで、どこで買おうか迷ってしまいました。
結局、焼きそばのお店を選ぶとどうやって作ったのか奥の台所から焼きそばが出来上がってきました。
焼きそばを持って湖ぎりぎりに腰を下ろして一休みです。
遠くで三線(さんしん)の練習をしている音が聞こえます。
雲が切れて晴れ間が見えてくると、真っ黒の革のパンツが太陽熱を吸収してコタツにもぐったような心地よさになってきました。
「こんな一瞬がいい」
そう一人で感じているものと思っていましたが、メールを1本もらったからここにいるんだと気づきました。
「相模湖にいる」
そうメールを返しました。
今日はよく晴れたので洗濯をした後、ボーっとしていると、
「すごいいい天気だね」
とメールが飛んできました。
ふっと我に返り急に思い立って散歩に出かけることにしました。おもてに飛び出したものの、もう1時を回っていたので遠出もできず、相模湖に出かけてきました。
都心から中央高速に乗って3~40分も走れば到着です。
午後になってだいぶ雲が出てきましたが、暑くもなく寒くもなく心地よい涼しさです。
ここに来たのはどれぐらいぶりでしょうか?
波が穏やかに湖を覆って、そのむこうの山の緑も元気な色をしています。とは言っても観光に力を入れているわけではないので湖の上には送電線だらけだし、これと言った施設もありません。相模湖といえば発電や工業用水ように作られたダム湖でとてもきれいとは言えない場所ですから、それも仕方ありません。
湖畔の商店街まで行ってみると相変わらずさびれたたたずまいで、それにしてはどの店もつぶれずにちゃんと店を開いています。
いままで目も耳も傾けたことがなかったのですが、お腹がすいていてよっていくと、ふとおじさんの声が気になりました。
「あと3分で出向しますー」
といっているではないですか!
こんなところでも遊覧船が出ているんですね。いままでずっと視界に入っていたにもかかわらず気にかけたこともありませんでした。
とりあえず乗ってみようと思い鯨の形の小さな遊覧船に乗り込みました。
そんなことをしてみると、意外に遊覧船にも年寄りや若いのやカップルが乗っていたり、なんともう一台遊覧船があったり、こんなところにも人は来るんだなぁと感心しました。
てっきりブラックバス釣りとボート競技の練習ぐらいと日向ぼっこぐらいにしか人は来ないものと思い込んでいたのは間違いだったようです。
一周して戻ってきて、暖かい食べ物さがすのですが、海の家と大差のない店構えで、どこで買おうか迷ってしまいました。
結局、焼きそばのお店を選ぶとどうやって作ったのか奥の台所から焼きそばが出来上がってきました。
焼きそばを持って湖ぎりぎりに腰を下ろして一休みです。
遠くで三線(さんしん)の練習をしている音が聞こえます。
雲が切れて晴れ間が見えてくると、真っ黒の革のパンツが太陽熱を吸収してコタツにもぐったような心地よさになってきました。
「こんな一瞬がいい」
そう一人で感じているものと思っていましたが、メールを1本もらったからここにいるんだと気づきました。
「相模湖にいる」
そうメールを返しました。
土曜日, 5月 19, 2007
金曜日, 5月 04, 2007
たこ焼き
気分転換に外へ出てきました。となり町のミニモールに来て楽しげなフードコートで久々の食べ物にありつきました。築地銀だこのたこ焼きです。
空腹にはきつかったかな。味が濃いだけでは何も満たされません。
木曜日, 5月 03, 2007
「甘え」の構造
僕は物を捨てるのが苦手です。それでも長い間かけて捨てていてずいぶん部屋の中の物が減ってきました。
とくに本はどれだけ捨てたかわかりません。それでも優柔不断な僕がどうしても残してしまった本が数冊あります。もう読みもしないのに。
その中の一冊。
「甘え」の構造
今は新装版とか言うのを売っていますが僕の持っているのは第二版です。一度捨てたのに後悔してもう一度買ってしまったものです。
昭和46年初版第1刷発行のとても古い本で文体も古いのですが、一度は目を通してみてください。たったの200ページとちょっとです。
前に紹介したなにかの方法論を解説した様な本ではありません。著者が甘えというのは日本人特有の心理であることに気づき、それを基に日本人の心の構造を分析した精神科医の論文のような本です。
一貫して述べられているのは人間関係が「内」と「外」という概念から成り立っているということです。甘えが生まれるのもそれが起因している・・・もしくは甘えそのものが内と外の起源と解釈しました。僕にとっていろんな場面での「内」とは何か「外」とは何か。著者の言うとおりに当てはまるのか否か・・・。
僕は二十歳の頃にこれを読んでとても勉強になりました。そして過去にさかのぼって僕の原点になった気がしています。
この本の使い方は人それぞれ自由です。でもきっと役立つと思います。
とくに本はどれだけ捨てたかわかりません。それでも優柔不断な僕がどうしても残してしまった本が数冊あります。もう読みもしないのに。
その中の一冊。
「甘え」の構造
今は新装版とか言うのを売っていますが僕の持っているのは第二版です。一度捨てたのに後悔してもう一度買ってしまったものです。
昭和46年初版第1刷発行のとても古い本で文体も古いのですが、一度は目を通してみてください。たったの200ページとちょっとです。
前に紹介したなにかの方法論を解説した様な本ではありません。著者が甘えというのは日本人特有の心理であることに気づき、それを基に日本人の心の構造を分析した精神科医の論文のような本です。
一貫して述べられているのは人間関係が「内」と「外」という概念から成り立っているということです。甘えが生まれるのもそれが起因している・・・もしくは甘えそのものが内と外の起源と解釈しました。僕にとっていろんな場面での「内」とは何か「外」とは何か。著者の言うとおりに当てはまるのか否か・・・。
僕は二十歳の頃にこれを読んでとても勉強になりました。そして過去にさかのぼって僕の原点になった気がしています。
この本の使い方は人それぞれ自由です。でもきっと役立つと思います。
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